2016年05月24日
中之条町の林昌寺♪
NHK大河ドラマ「真田丸」人気で、真田街道に沿った史跡には多くの観光客が訪れているようです。
戦国の世、真田氏は信濃国上田を拠点とし、上野国へ勢力を広げました。上田から鳥居峠までは「上州街道」、鳥居峠から群馬県内を東に向かう道を「長野街道」と呼び、それらの道は通称「真田街道」とか「真田道」と呼ばれています。
何年かぶりに出掛けた四万温泉への道すがら、まだ行っていない真田氏ゆかり地をピックアップして訪れてみました。2016/4/6

△曹洞宗宝満山林昌寺
平安時代の創建。戦国時代に荒廃しましたが、真田幸隆の弟(真田昌幸の叔父)矢沢頼綱により再建されました。領主・真田昌幸より六連銭(六文銭)の寺紋と改修資金をを与えられ、以後、信之・信吉・信政など真田家の庇護を受け、寺勢を伸ばしました。(案内板より)
頼綱は百戦錬磨の武将であったと伝えられています。

元文年間建立の立派な山門にも

本堂屋根にも、六連銭。。。

△身代わり地蔵菩薩
矢沢頼綱は上和泉の合戦の折、敗走の背に敵兵から矢を受けましたが、1人の若武者が身代わりとなって救いました。その後、頼綱の夢枕に地蔵菩薩が顕れ、身代わりになったのは菩薩だったことを告げました。頼綱は隠居すると堂宇を再建し、地蔵菩薩像を祀り戦没者の供養と追想に暮れたと伝えられています。(案内板より)

△シダレザクラの古木は町指定天然記念物
(幹囲4メートル、樹高20メートル、樹齢は不明)

町を歩くと、地元の人が「シダレザクラを見た?」と声をかけてくれたり、道案内をしてくれたり・・・旅人にやさしい中之条町です。

前日はあいにくの曇天。青空を背景に満開の
シダレザクラを見ようと、翌日も立ち寄りました。

評判通りの見事なシダレザクラでした。
平成12年に亡くなった小渕元首相が眠る林昌寺です。
◆林昌寺
群馬県吾妻郡中之条町大字伊勢町1002
戦国の世、真田氏は信濃国上田を拠点とし、上野国へ勢力を広げました。上田から鳥居峠までは「上州街道」、鳥居峠から群馬県内を東に向かう道を「長野街道」と呼び、それらの道は通称「真田街道」とか「真田道」と呼ばれています。
何年かぶりに出掛けた四万温泉への道すがら、まだ行っていない真田氏ゆかり地をピックアップして訪れてみました。2016/4/6

△曹洞宗宝満山林昌寺
平安時代の創建。戦国時代に荒廃しましたが、真田幸隆の弟(真田昌幸の叔父)矢沢頼綱により再建されました。領主・真田昌幸より六連銭(六文銭)の寺紋と改修資金をを与えられ、以後、信之・信吉・信政など真田家の庇護を受け、寺勢を伸ばしました。(案内板より)
頼綱は百戦錬磨の武将であったと伝えられています。

元文年間建立の立派な山門にも

本堂屋根にも、六連銭。。。

△身代わり地蔵菩薩
矢沢頼綱は上和泉の合戦の折、敗走の背に敵兵から矢を受けましたが、1人の若武者が身代わりとなって救いました。その後、頼綱の夢枕に地蔵菩薩が顕れ、身代わりになったのは菩薩だったことを告げました。頼綱は隠居すると堂宇を再建し、地蔵菩薩像を祀り戦没者の供養と追想に暮れたと伝えられています。(案内板より)

△シダレザクラの古木は町指定天然記念物
(幹囲4メートル、樹高20メートル、樹齢は不明)

町を歩くと、地元の人が「シダレザクラを見た?」と声をかけてくれたり、道案内をしてくれたり・・・旅人にやさしい中之条町です。

前日はあいにくの曇天。青空を背景に満開の
シダレザクラを見ようと、翌日も立ち寄りました。

評判通りの見事なシダレザクラでした。
平成12年に亡くなった小渕元首相が眠る林昌寺です。
◆林昌寺
群馬県吾妻郡中之条町大字伊勢町1002
Posted by 風子 at 20:06│Comments(2)
│真田街道めぐり
この記事へのコメント
ほー、矢沢頼綱ゆかりのお寺なんですか。
真田丸でもいい味出してますよね。
身代わり地蔵の伝説も面白いし、枝垂桜もすごいですねー。
いやー、勉強になりました。
真田丸でもいい味出してますよね。
身代わり地蔵の伝説も面白いし、枝垂桜もすごいですねー。
いやー、勉強になりました。
Posted by 迷道院高崎
at 2016年05月25日 09:45

>迷道院高崎さま
当初、三谷幸喜真田丸には面食らうことばかりでしたが、
見慣れてしまえば、違和感がなくなるものですね^^。
当初、三谷幸喜真田丸には面食らうことばかりでしたが、
見慣れてしまえば、違和感がなくなるものですね^^。
Posted by 風子
at 2016年05月25日 19:15
