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2014年12月13日
富岡製糸場の工女さんをめぐる 富岡まち歩き ♪

富岡製糸場の入口はすごい混雑で

世界遺産登録前に見学しておいてよかった~。


まちなか交流館でもらった
「富岡まちてくマップ」に
工女さんの足跡コースが
載っています。
前々から気になっていた場所へ
行けそうな感じ。。。
△西繭倉庫(西置繭所)
12月17日、木骨レンガ造の繰糸場、東繭倉庫、西繭倉庫の3棟
は、群馬県初の国宝に指定されました。
製糸場の正門を右折して、かつては製糸場に向かう繭を積んだ
大八車の往来などで賑わった片倉北通りを西に向かい、西繭
倉庫の裏側を見ながら歩いて、突きあたり少し先の路地へ入り

100mほど行くと左側に、1884年(明治17年)に
創設され、多くの工女さんが通い、洗礼を受けた人も
いたと言われる甘楽教会があります。

△甘楽教会
官営模範工場として出発した富岡製糸場は、技術と教養と収入を
もつプライドある工女を育てたと言われていますが、明治から大正
期における製糸業とキリスト教伝道には、深い結びつきがあるよう
です。

敷地内に甘楽幼稚園があり、立ち入りはできないようです。

西繭倉庫が見える交差点まで戻り、左に入った路地で、切妻屋根
の和風イメージの銭湯を探したのですが、わかりません・・・ようやく
ブロック塀に下げられた、小さな手書の案内板を見つけました。

△大正湯
昭和2年から営業している老舗の銭湯。昔ながらの番台や、岬の
描かれたタイル絵は昭和にタイムスリップしたかのよう!富岡製糸
場の工女さんたちも仕事終りに立ち寄り、順番待ちができるほど賑
わったそうです。(案内板より)
路地を北に進むと国道254号沿いに龍光寺があります。

△龍光寺
海源寺とともに工女さんのお墓があるということで、訪れてみたか
ったお寺です。洋画家 福沢一郎もここに眠っています。

何度も前を通過したことがあるのですが、このように見事な彫刻の
門があるなんて、知らなかった。。。

境内には室町時代に鋳造された梵鐘や、樹齢380年の
大イチョウがあり

ちょうど近所の方が通りかかって、工女さんのお墓に案内してくれ
ました。知元の方は旅人にとても親切です。

△工女さんの墓石
明治6年(1873年)に建てられた最初の工女の墓石など、龍光寺に
は女工さんのお墓が30基あり、製糸場の関係者らしき男性名の墓
石や、小さな(小児のものらしい)お墓などもあります。
富岡製糸場は当初工女として約500人を全国から募集しました
が、フランス人がブドウ酒を飲むことから「若い娘を集めて生血を飲
む」とい妄言が流れ、なかなか集まりませんでした。そこで、各府
県に人数を割り当てて、士族の娘などが集められました。明治11
年(1878年)の工女の約40%が士族の子女でした。
創業当初は、模範工場の名にふさわしく厳密な労務管理や規則
があった一方で、8時間労働、七曜制の導入やフランス人医師の常
駐など、当時としては画期的な労働環境が整えられていました。
(中略)
しかし、故郷を離れての慣れない集団労働のため、若くして病に
倒れ、この地でなくなった工女は60余名にのぼります。
『富岡市の文化財』より

△煙突のある風景
「まちてくマップ」は地元の人々からの情報をもとに
作成したものだそうですが、地元ならではの情報満載、
路地めぐりの魅力がいっぱいの楽しいマップです。
次は工女さんのグルメめぐりをしてみようかな・・・^^。
2014年11月21日
富岡まち歩き2014 ♪

昔の駅舎からは想像できないほど、上州富岡駅と駅前広場は
おしゃれに変身していました。 11/16
今年6月に世界文化遺産に登録された富岡製糸場への最寄駅
ということで、観光客らしい人々が行きかっています。

新しい駅舎は2011年に一般公募型コンペで最優秀賞を受賞した
デザインで、“大きな縁側”がコンセプトとか。あちこちにレンガの
ベンチが設置されています。

駅前広場に立ってみると、右手に立派な赤煉瓦の建物を発見!
富岡倉庫の明治43年(1910)建造とされる乾繭倉庫跡(左)と、
大正14年(1925)建造とされる大谷石の乾繭倉庫跡(右)です。
甘楽町にも旧・甘楽社小幡組の赤煉瓦倉庫(現・甘楽町歴史民
俗資料館)があったことを思い出しました。
この倉庫群の存在ははじめて知りましたが、赤煉瓦ファンにはうれ
しい出会いです。


倉庫に沿って市役所方面に歩いて行くと

市役所正面の入口を入ると右に繭の乾燥場を改修した
木造の建物に「おかって市場」というお店があり

昔のままのガラス窓や梁に思わずうっとり。。。

地元の食材が並ぶお店の方のお話では、木造なので長時間いても
喉が楽だそうです。

富岡サイダーが並ぶ木製家具も

奥に見える引き戸も素敵で

なつかしい空気に包まれて、しあわせなひと時を
過ごしました^^。

正面奥の乾繭倉庫。煉瓦積みはイギリス積み。

富岡の製糸業の歴史を語る上で貴重な建物ですが、
旧官営富岡製糸場との関連はわからないようです。
2013年10月10日
中之条あるき 「ふるさと交流センターつむじ」 ♪

「道の駅しもにた」をコンパクトにしたようなかたつむり形の建物が
ふるさと交流センターつむじです。

中之条ビエンナーレ2013 の鑑賞パスポートを売って
いるそうですが

今回は目的が違うので、残念ながら立ち寄るだけにしました。

平日なのに ウッドデッキはかなりの賑わい♪

つむじcafe 、雑貨ショップ、食事処、フードコート…

四万温泉の源泉がそそがれる足湯


おしゃれなインテリアアートも楽しめます。

ちょっとした装飾も目を引き

催事ホールのタペストリーがやさしい空間をつくって…

のんびり過ごしてみたいつむじでした^^。
◆中之条町ふるさと交流センター「つむじ」
2013年07月16日
富岡 まち歩き(続) ♪

宮元町にはお富ちゃん家(ち)もあります。 7/4

イメージキャラクターのお富ちゃん人形に誘われて覗いてみると、
豊富な物産品やレンタサイクル


「上州とみおかてくてくマップ」によると、富岡は江戸時代
初期に幕府の直轄地として新しくできた町で、その時陣屋
予定地だったのが、今の富岡製糸場の場所なのだとか。

△富岡製糸場
製糸場には多くの見物客がいますが、この日はまち歩きが目的
なので、以前の様子を思い出しながら通過。。。

「○○町まちなか交流館」という休憩所が点在していて

“絵手紙で街めぐり”の素敵な絵手紙も見られます。

新築や改装されたらしいお店もありますが

路地めぐりで昭和を感じる風景に出会えるのが嬉しい。

蔵の壁に文字が描かれ、バラが植えられたお庭があります。
ブリューナのバラという文字に惹かれて思わず入ってみると、
「1872年富岡製糸場設立の為、来日した仏蘭西人一行から
贈られた、日仏友好のバラです。」と書かれ、片隅には
たしかに幹が太いバラの木がありました。

奥は古い民家を改装したらしいおしゃれな写真スタジオで、遠来
の観光客に挿し木で増やしたバラを差し上げているそうです。
おもてなしの心を感じて、ほっこりしました^^。
富岡 まち歩きはこちらにも
◆とみおか浪漫紀行
http://www.city.tomioka.lg.jp/tourism/
2013年07月12日
富岡 まち歩き ♪

富岡製糸場の世界遺産登録をめざし、新しい案内板が目に付き
ますが 7/4



路地を歩く観光客へのやさしい配慮も感じます。。。

△狭~い県の道
明治中頃の記録が残る、道幅1.65mの県道

△トミラク赤レンガ倉庫(昭和2~12年頃の酒蔵施設)

△郵便局前のカトリック富岡教会 (教会隣のお宅の門が立派


信州姫街道・富岡宿として、物資の往来や

近辺の養蚕が盛んだった頃の面影を感じる建物。

屋根に小さな塔(?)があるレトロな時計屋さん。

イカを干しているのではありません^^。(仲町まちなか交流館)
梅雨時に訪れる観光客のための貸し傘が、あちこちに用意されて
いました。
≫続きはこちらに^^。
2013年04月02日
高崎/さくら歩き ♪

月に一度の用事は 桜の満開に合せて・・・ 4/1

この風景は はずせません。。。

高崎市庁舎前も

烏川周辺も 桜色に染められて

高崎公園の枝垂れ桜も かわいいピンク

☆去年はこんな感じでした。
2013年03月01日
足利の風景 ♪

上毛新聞印刷センター見学の後に向かったのは足利市でした。
新しい建物と歴史を感じる建物が混在する街なみ


何度も近くを通過したことはあるのですが、まだ見学していない

のが足利学校。今回も残念ながら目的は違います。。。

足利学校周辺の敷石を敷きつめた道は「いしだたみ
道」と呼ばれ、観光に一役買っているようです。

足利学校にある「孔子廟」の屋根を模したらしい学びの塔

すてきなマンホールデザインも足元に見られ。。。

通りの向かい側には、幕紋から起こったといわれる
足利氏の家紋「二つ引両」が見えます。

入場無料の足利市立美術館でアート鑑賞のひととき
を過ごしました^^。
2013年01月29日
冬の前橋 まち歩き ♪

前橋駅南口 冬の並木道はどこも淋しい姿です。。。 1/27

予定外の外出だったので、道順が不安でしたが

地図を片手に歩いていると、名前だけは知っていたケヤキウォーク
があり・・・日曜日なのでずいぶん賑わっている様子


立派な建物が見えたので、期待して近づいてみると・・・ここは
群馬県生涯学習センターでした。

1年前から訪れたかった群馬県立文書館に無事到着。

開館30周年記念特別展「絵図でたどるふるさと群馬展」
-城・関所・村の風景- (1月30日まで)
スケールの大きな城郭絵図や、200年ほど前の中山道沿いの
風景を描いた絵図、関所絵図、温泉絵図など・・・貴重な絵図
を観ることができました^^。
2012年10月13日
前橋 まち歩き ♪
2年に1度の「あんなか祭り」だというのに、イベントが重なって
しまい
前橋へ出かけました。

前橋駅北口、バスターミナルの雰囲気が変ったみたい。

ケヤキ並木を歩くのも久しぶり。。。

おしゃれなカラーのビルがあるかと思えば

生活感漂うお店もあります。

▲前橋生糸改所跡の碑(本町二丁目)
明治初期に、輸出が増えた生糸の品質を検査
する建物がありました。

夕日に映える親子の像

のびやかなケヤキは魅力がいっぱい
素敵なまち歩きでした^^。
しまい


前橋駅北口、バスターミナルの雰囲気が変ったみたい。

ケヤキ並木を歩くのも久しぶり。。。

おしゃれなカラーのビルがあるかと思えば

生活感漂うお店もあります。

▲前橋生糸改所跡の碑(本町二丁目)
明治初期に、輸出が増えた生糸の品質を検査
する建物がありました。

夕日に映える親子の像

のびやかなケヤキは魅力がいっぱい

素敵なまち歩きでした^^。
2012年09月26日
松井田宿の「みなとや」さん ♪

奥まった建物で構えが地味なので、車で通過してばかりいて

迷道院さんの記事を読んでから2年以上が経ってしまいました。
☆建物の解説は迷道院さんの「隠居の思ひつ記」でどうぞ♪
松井田宿 お休み処「みなとや」

ようやく訪れた「みなとや」さんは、落ちついた
感じの古民家です。先日の「七宿めぐり」の日は
500食のかき氷を、子どもさんも総動員で作った
そうです。

気になる手ぬぐいや

着物地で仕立てた洋服販売コーナーもあります。

本日のランチは生姜焼き定食500円でかき氷付き

奥のテーブルで食事を終えた、常連らしいお父さんと息子さんに
声をかけて頂きましたので、かき氷を持ってちゃっかり合流して、
地域の情報をいろいろと仕入れることができました(^^v

横の路地を入ると立派な母屋があり

行きつ戻りつ、じっくりと見させて頂きました^^。
◆松井田町お休み処「みなとや」
2012年09月20日
松井田 ふたつの駅 ♪

△松井田駅

△西松井田駅
縁あって松井田にたびたび出かけるようになってから、人口が
2万人に満たない町に、なぜ駅がふたつもあるのだろうと不思
議でなりませんでした。
実際に信越線に乗ってみると、松井田駅から西松井田駅はた
ったの2分

最近、地域の情報に詳しい方にその理由を教えてもらう機会が
あり、ようやく納得できました。
碓氷峠を目指す信越本線は勾配があるため、ジグザグに走行
するスイッチバック方式を採用していたそうですが、旧松井田駅
は折り返しの停車場でした。
昭和37年に高崎 - 横川間電化と同時に駅を約2km高崎寄りに
移転し、スイッチバック廃止。その後、地元住民の不便さを補うた
めに、旧松井田駅よりやや横川寄りに西松井田駅が新設された
のだそうです。
2012年09月19日
松井田 まち歩き ♪

「上州中山道七宿めぐり」歩きはできませんでしたが、いつもは
通過しているだけの松井田商店街の駐車場に車を停めて、歩
いてみると

宿の地図の横に、手に入れたかっ
たリーフレットが目立たない感じで
←置かれていました。


道標も控えめですが、碓氷峠を控えて宿泊客が
多かった坂本宿とは違って、信州の各藩からの
米の中継地であり商業的に栄えた松井田宿であ
ったので、観光的な案内板などを設置しなかった
…とか。

普通に歩いていたら気付かなかった案内板ですが

地図の番号に沿った説明文を読むと見所がいっぱいで、
あちこち寄り道したくなりました^^。

△しっかりした石組が残る立が堀(たてがほり)
◆松井田宿 どっと混むイベント広場
2012年09月18日
松井田の風景 鉄道遺構(SL用給水タンク) ♪

松井田町横川、茶屋本陣近くの諏訪神社。
鳥居前に、上部は赤レンガが積まれた何やら大きなコンクリート
の塊を見つけました。
文字が薄れた小さな案内板には
碓氷SL(蒸気機関車)用給水タンク
この赤煉瓦の水槽は明治18年4月15日に高崎━横川間が開業
され、それに伴う蒸気機関車への給水などのために造られたもの
です。東に流れる矢ノ沢から引水し、河原砂を使った浄化装置を
設け給水した。
後に横川駅の客車水槽への補給、鉄道官舎の生活用水ともなり、
蒸留水に近い水質であったという。上水道の普及により役割を終
えたが、重要な鉄道文化遺産といえます。「うすいの歴史を残す会」
と書かれています。

丸い穴は給水管の跡のようです。

野草におおわれても存在感があります。

裏手の屋根を支えているのはラックレールですが、なぜか端を
ねじって接合してあります。
※ラックレール…急勾配を上り降りするために2本のレールの中
央に敷設した歯型のレール ラック式鉄道(Wikipedia)

観光スポットからは外れたところで珍しい鉄道遺構と遭遇できて、
うれしくなってしまいました^^。
2012年04月15日
2012年04月13日
高崎公園の桜 2012 ♪

何年ぶりかで桜満開の高崎公園へ。。。

色とりどりの花で浮き浮きと…♪

お祭りモードだから提灯も許しちゃいます(^^v

お堀に浮かぶ花びらも風情があり…

桜に包まれたような観音さまも望めました^^。
◆高崎公園
2012年03月26日
高崎の興禅寺 ♪

旧市内で最も由緒ある寺院 興禅寺(曹洞宗)です。
大通りに面した門の左右には、お地蔵さまや地蔵堂があり…

門をくぐると、あら不思議^^境内ではなく公園♪

家々の背景には高崎市庁舎


公園と道路の奥の境内に、どっしりとした本堂がありました。


高崎市文化財の古絵図には、和田城、鎌倉街道に面した大きな
敷地内に興禅寺が描かれているそうですが…その面影は残念

ながら探せませんでした。。。 (撮影 3/15 )
<参考サイト>
高崎市ホームページ
和田城並びに興禅寺(こうぜんじ)境内古絵図
隠居の思ひつ記鎌倉街道探訪記(1)
◆興禅寺 高崎市下横町13
2012年03月22日
はじめての高崎神社 ♪

一度は参詣したいと思っていた高崎神社です。
杉の大木に囲まれた壮大な境内

が、意外とコンパクト♪ 結婚式場が目立って、入口がわかり難
かったです。。。

手水場の瓦が立派で、存在感があります。

ここで二人が玉砂利を踏みしめて神前に誓うのね


縁結びの神様に…今さらお願いはありませんが…^^ゞ

社殿にかけられていたという鰐口(鉦/しょう)。
高崎市指定文化財です。

境内には美保大國神社があり、恵比寿様、大國様が、商売繁盛
学芸向上、交通安全をお守りくださるとか…。

とても風が冷たい日でしたが…恵比寿様の福々
しい満面の笑みに癒されました^^。 3/15
◆高崎神社
2012年03月15日
高崎市 長松寺の「子守学校 」♪

安中市学習の森ふるさと学習館の連続講座「安中小学校
事務日誌と近代の教育」で初めて聞いた「子守学校」と
いう名称に惹かれて、高崎市赤坂町の長松寺を訪ねました。

▲曹洞宗 長松寺

▲本堂


寛政元年(1789)狩野探雲 作
【高崎市重要文化財】
☆お寺の奥さんに、長松寺が県立高崎
中学校(現高崎高校)発祥の地だというお話も伺いました。
明治20年代には小学校の就学率は70%代に急上昇しましたが、貧困のために家事の手伝いや他家へ子守奉公に出されることが多かった未就学の児童(主に女子)のために、1870年代~1880年代には全国に320校の子守学校が設置され、群馬県内にも14校ありました。
長松寺住職山端息耕は長松寺の本堂を仮校舎として、明治36年(1903)「高崎私立樹徳子守学校」を創設し、校舎も校名も変わりましたが昭和19年まで40年6か月も存続し、県下で唯一といわれています。廃校までに3020人が在籍し、卒業生は933人でした。

▲境内にある木造瓦葺き(約70坪)の校舎 / 昭和10年建築

▲昭和16年に創設した「日の丸保育園」(後に幼稚園)という
文字があるプレート


☆幼稚園は平成13年(2001)に閉園となりました。
<参考サイト>
高崎新聞:高崎名僧列伝・樹徳子守学校と山端息耕
高崎市ホームページ:たかさき100年「第7回子守学校と育児院」
◆長松寺
2012年02月08日
伊勢崎 まち歩き(続) ♪

地元の方に「いせさき明治館」の場所を訊ねると、「あれが鐘楼
です」と歩きながら教えてくださいました。。。 2/3

まだ新しい、小学校の素敵な建物に守られるように…


明治6年に開校した、歴史ある伊勢崎市立北小学校(旧赤石学校)
の敷地内にある旧時報鐘楼(市指定重要文化財)です。

1915年(大正4)、当時横浜で貿易商をしていた
伊勢崎出身の小林桂助氏が寄贈した、県内最古
の鉄筋コンクリート構造で、外壁は赤煉瓦


どんな音で時を告げていたのでしょうか・・・
ドーム屋根が帽子のようで、かわいらしく

久々の赤煉瓦の建造物(^^v・・・うれしくて、ひとめ惚れです^^。
◆旧時報鐘楼 伊勢崎市曲輪町
2012年02月04日
伊勢崎 まち歩き ♪

いせさき明治館の見学を終えてから・・・
ぶらぶら歩いていると小さな公園があり、なんとそこには、会い
たかった上州かかあ像が鎮座しているではありませんか!


「おふくさん(お多福)」がモデルみたい。。。手には「か」という
文字が付いたおにぎりを持っています。
“かかあ”なんて強そうな呼び名ですが^^;ふっくらと慈愛にみち
た微笑み…上州の「働き者」の女性を賛美した称号だ…とか。

交差点の角に、堂々とした時代を感じさせる建物。
町田佳聲(かしょう)の生家です。明治時代の建物で、醤油醸造
業を営んでいたそうです。

織物の町らしい絣(かすり)模様や布をイメージ
した(たぶん)デザイン


蔵を改造したお店があったり…

結婚式場の優雅な聖堂があったり…
新旧のあれこれを愉しめるまちでした^^。
☆続きはこちら
◆上州かかあ像の場所