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2018年11月22日
たくみの里散歩♪

たくみの里(三国街道須川宿)は、のどかな田園風景に囲まれ

木工・竹細工・陶芸・わら細工・アクセサリーなど伝統的な
手わざを伝える20戸以上のお店が点在しています。

巨大なわらアートが展示されているというので廻ってみました。。。

△赤谷のイヌワシ

△これはなに?
全部で8体あるはず。歩き疲れて探しきれなかったです(*・ε・*)
最初に道の駅でMAPを入手することをおすすめ。
わらアート展示は30日まで。
2018年11月13日
赤城自然園の紅葉♪

赤城自然園は赤城山西麓の標高600~700mにあり、
30年の歳月をかけて環境を整え、再生した森だそうです。

森林のリラクゼーション効果を求めて出掛けてみると・・・

紅葉の見頃と快晴の土曜日で

「年間パスポート」を使って、何度も訪れる人がいるみたい。

足にやさしい遊歩道が整備されていて、森林を散策
しながら自然を感じることができます。

ふんわりカサコソ・・・落ち葉のじゅうたんに癒されました。11/10
◆赤城自然園ホームページ
https://akagishizenen.jp/
2018年11月03日
2018年10月24日
榛名湖の紅葉 2018♪

榛名湖周辺は紅葉が始まったばかりでしたが

湖畔をめぐってみると、鮮やかに色づいた木もあり

林の中のカエデやモミジが染まっていて・・・

湖畔は外国からのお客さんでにぎわっていました。10/22

1週間余り後、もう一度出かけてみると・・・

ちょうど見頃を迎えていて

榛名富士も湖畔も、紅葉・黄葉が見事でした。 10/31
(11/1追記)
2018年04月27日
碓氷湖の新緑♪

碓氷峠の森公園の駐車場から

新緑に包まれたアプトの道の緩い坂道をたどり・・・

ひんやりとしたトンネルを二つ通過して碓氷湖に到着。

湖の周囲にはワイルドなツツジや

ヤマブキが春色を添えていました。 4/26
2017年11月12日
妙義山の紅葉2017♪

妙義神社には色付き途中のモミジがありました。

今年は色付きが早いとか・・・

ちょうど見頃の時期に行けました。

妙義山が一年で一番華やぐ季節


寒くなるにつれ、赤色が濃くなります。

今年は妙義ふるさと美術館前にコスモスが咲いて
いなかったのが残念。。。 11/10
※2016年の紅葉とコスモスはこちら
2017年11月07日
榛名湖の紅葉2017♪

榛名湖は県下でも上位にランクされる紅葉スポット


午後になると湖水に榛名富士が映り込みます。

見頃の紅葉とキラキラの水面。。。

黄葉も多く見られます。

散歩したり、写真を撮ったり・・・

湖畔は随分賑わっていました。 11/6
2017年11月03日
めがね橋(碓氷第三橋梁)の紅葉♪

威風堂々としたアーチに圧倒されます。。。 11/1

赤レンガに黄葉が映えて


橋上からの眺めを楽しむ人々が続きます。

紅葉が見頃の1カ月間、ライトアップが行われるとか。

徒歩5分ほどの所に駐車場ときれいなトイレもできました^^。
※新緑の頃もおすすめです。→こちら
2017年09月25日
信州佐久にもあった「五稜郭」♪

観光ガイドマップに載っていた「龍岡城五稜郭」。 函館の五稜郭には行きましたが、佐久にも五稜郭があったなんて。 9/1

△「佐久市歴史の里・であいの館」には史料等が展示されています。
函館五稜郭は箱館開港時に函館山の麓に置かれた箱館奉行所の移転先として築造された。しかし、慶応2年(1866年)の完成からわずか2年後に幕府が崩壊、短期間箱館府が使用した後、箱館戦争で旧幕府軍に占領され、その本拠となった。明治に入ると郭内の建物は1棟を除いて解体され、陸軍の練兵場として使用された。その後、1914年(大正3年)から五稜郭公園として一般開放され、以来、函館市民の憩いの場とともに函館を代表する観光地となっている。(Wikipedia)

△龍岡城五稜郭 の堀

龍岡城五稜郭は、慶応3年(1867年)に龍岡藩主「松平乗謨」(まつだいらのりかた)によって造られ、函館の五稜郭とともに日本に2つしかない五つの稜が星形に突き出た擬洋式城郭です。
江戸幕府はこの当時に城を新たに造ることを禁止していましたが、幕府の重要な役職についており、西洋の軍楽に関心を寄せていた松平乗謨は特別に許可をもらい、フランスのリール市の星形の堀をもつ城郭ボーバン城をモデルとしてこの龍岡城五稜郭を建築しました。
(佐久市ホームページより)

△龍岡城五稜郭案内板

堀は三稜堡をめぐるだけで、南西と西側を囲む約270mは未完成でした。
龍岡藩廃藩後の明治5年(1872年)、建物は解体、競売に付され、堀も埋められましたが、昭和の初期に復元されたそうです。

△御台所(元の位置から移動)
城跡に残された御台所櫓には、明治8年(1875年)に田野口村の「尚友学校」が移転し、現在は佐久市立田口小学校の校地として使われいます。お城の中に学校が建設されているという全国でも珍しい小学校だそうです。

△大給 恒の胸像
松平乗謨は維新後に「大給 恒」(おぎゅう ゆずる)と名乗り、日本赤十字社の設立に尽力しました。
◆龍岡城五稜郭
2017年08月07日
草津温泉の小さな公園♪

「大滝の湯」の入り口向かい側の坂道を上ると

木立に囲まれた小さな公園に出ます。
コンウォール・リー女史の寄付により造られた頌徳公園です。

どこかで見たことのある胸像は
ハンセン病患者の治療にあたったコンウォール・リー女史。
コンウォール・リー(Wikipedia)

草津温泉バスターミナルの入り口に掲げられているパネル。
写真の方がやさしい感じです。

コンウォール・リー女史顕彰碑の解説文。
1857年 英国カンタベリーの貴族の一人娘として生まれました。

少し歩くと・・・

頌徳公園正面入口に出ます。 photo 2016/9/31
気軽に出かけられる草津温泉。
温泉街の散策も魅力のひとつですが、ふらりと立ち寄った公園で、もうひとつの草津温泉に出合いました。
草津温泉とハンセン病
草津温泉は古来より湯治湯として知られていましたが、ハンセン病患者が多く集まってきたのは明治時代に入ってからと言われています。ハンセン病患者が多く草津に集まったため、ハンセン病患者の地域がもうけられました。この湯之澤部落は、当時の草津町の行政区の一つとして認められていました。また従来の湯畑を中心とする地域が上町、湯之澤部落は下町と呼ばれていました。境はありましたが往来は比較的自由だったようです。しかし「癩(らい)予防法」の制定や「無らい県運動」の高まりもあり、昭和17年に湯之澤部落は解散し、地域住民の多くは栗生楽泉園内の自由地区(下地区)に移転することとなりました。下地区では有資産患者向けの建て売り住宅や自己資金での住宅建設がなされ、湯之澤から小学校や教会も移築されました。
草津でハンセン病患者に対する救済活動においてもっとも有名なのがコンウォール・リー女史による聖バルナバ・ミッションです。大正5年よりリー女史は、湯之澤部落での活動を開始し、私財や寄付金により生活困窮者の救済にあたりました。聖バルナバ・ミッションは昭和16年まで継続されました。
(国立療養所栗生楽泉園ホームページより)
◆頌徳公園
2016年11月13日
妙義山の紅葉とコスモス♪

久しぶりのブログ更新です。

妙義ふるさと美術館に向かう道です。11/12

カメラをセットして紅葉に見入る人、キャンバスに向かう人。。。

荒々しい山肌を背景に背の低い可憐なコスモスが色を添えて…




好みの風景を探すときだけは不調を忘れられます^^。
2016年10月23日
草津温泉駅跡を探して♪

草津温泉街をぶらぶら歩き。。。 9/31
行く先々に足湯があり、バスターミナル前にもありました。

△草津温泉バスターミナル
ガイドマップに「草津温泉駅」とあったので鉄道の駅かと思いましたが、バスターミナルのことでした。

バスホームにはJRバス関東・草軽交通・西武高原バスなどが整列。

1階には待合所・売店・食堂・観光案内所などがあり

草軽電気鉄道の「デキ12型」機関車が展示されていました。
カブトムシの愛称で親しまれたそうですが、なんとも可愛い模型です。大正4年(1915)から昭和37年(1962)までの47年間、草津温泉と軽井沢間の55.5kmを走り続けた草軽電鉄。走っているのを見たかったです。

観光案内所で「草津温泉駅」のことをたずねると、駅跡の場所を教えてくれました。

リゾートマンションの建ちならぶ風景の中に小さな公園があり・・・

公園の片隅に「草津温泉駅跡」の石碑がありました。よーく見ると、石碑の足元にはレールがあります。

△石碑の裏面

草津温泉驛は 長野懸輕井澤町と 群馬懸
草津町を結ぶ草輕電氣鐵道 55粁241
米の 群馬縣側始發驛として 大正15年
9月18日に開業し 發展途上にある草津
温泉の表玄関として多数の 浴客や地域住
民の乗降を主体とし 硫黄薪炭等地元生産
物の發送と 各種建築資材食料など 生活
必需品の到着した懐しい驛でもあったが
交通事情の変革により 昭和37年1月3
1日同電鐵の廢線のため 37年間の営業
を閉じた
昭和58年11月吉日
草輕交通社友會 草津町有志 建立
▽浅間台公園
2016年09月19日
チャツボミゴケと太子線 ♪
草津温泉の帰りにチャツボミゴケ公園を訪れました。 9/1

遊歩道のすぐ脇に褐鉄鉱がむき出しになっていて、びっくりです。

△褐鉄鉱の案内板
かつてここは群馬鉄山と呼ばれ、国内第2位の生産量を誇る露店掘り鉱山で、最盛期には2,000人以上が従事し、昭和19年(1944)の操業開始から昭和41年(1965)の閉山までに約300万トンの鉄鉱石を産出しました。

△当時の露店掘り風景(リーフレットより)借用)

鉄鉱石は群馬鉄山から太子(おおし)駅までは索道(空中ケーブル)で運搬され、長野原~太子間には鉄道が敷設されていました。

その後、露天掘りの跡地はチャツボミゴケ公園となりました。
チャツボミゴケは世界中のコケ類約18,000種の中でも最も耐酸性の強い特異な苔ですが、ここでは東アジア最大級のチャツボミゴケの群生が見られ、その環境や生態系が評価され、周辺の自然遺産(芳ケ原湿地群)とともに、平成27年5月、ラムサール条約に登録されました。

以前はなかった、しっかりした木道が設置されています。

チャツボミゴケが群生している穴地獄には、PH2.8の強酸性の鉱泉が湧出しています。

この地には鉄鉱石でっできた底が見えないほどの深い穴があり、その中へ山の動物が落ちて死んだことから、穴地獄と呼ばれました。

12月1日より翌年4月下旬までは冬季閉鎖となります。
2012年のチャツボミゴケ公園はこちら♪

遊歩道のすぐ脇に褐鉄鉱がむき出しになっていて、びっくりです。

△褐鉄鉱の案内板
かつてここは群馬鉄山と呼ばれ、国内第2位の生産量を誇る露店掘り鉱山で、最盛期には2,000人以上が従事し、昭和19年(1944)の操業開始から昭和41年(1965)の閉山までに約300万トンの鉄鉱石を産出しました。

△当時の露店掘り風景(リーフレットより)借用)

鉄鉱石は群馬鉄山から太子(おおし)駅までは索道(空中ケーブル)で運搬され、長野原~太子間には鉄道が敷設されていました。

チャツボミゴケは世界中のコケ類約18,000種の中でも最も耐酸性の強い特異な苔ですが、ここでは東アジア最大級のチャツボミゴケの群生が見られ、その環境や生態系が評価され、周辺の自然遺産(芳ケ原湿地群)とともに、平成27年5月、ラムサール条約に登録されました。

以前はなかった、しっかりした木道が設置されています。

チャツボミゴケが群生している穴地獄には、PH2.8の強酸性の鉱泉が湧出しています。

この地には鉄鉱石でっできた底が見えないほどの深い穴があり、その中へ山の動物が落ちて死んだことから、穴地獄と呼ばれました。

12月1日より翌年4月下旬までは冬季閉鎖となります。
2012年のチャツボミゴケ公園はこちら♪
2016年09月11日
八ツ場ダムの展望台♪

八ツ場バイパスを草津方面に向かって走っていると、左側のおそばやさんの裏手の高台に「無料展望台」と「やんば見放台」の看板が見えました。みほうだい?

これが最近できた展望台のようです。

専用駐車場に駐車して坂を上ると・・・なるほど
見晴らしのよい場所です。

無料の双眼鏡も設置されていて・・・

ふ~ん、ここがダムの本体ですか。。。


△空から見た八ツ場ダム本体工事の状況

△八ツ場ダムの概要

八ツ場大橋方面から雨が迫ってきました。 8/30
2015年11月23日
新「川原湯温泉駅」と新「王湯」 ♪
高台に移転した川原湯温泉駅 に立ち寄ってみました。 11/6

△川原湯温泉駅
線路の付け替え工事が完了して、2014年10月に開業した新しい
川原湯温泉駅は、道の駅「八ッ場ふるさと館」から不動大橋を渡
って車で5分ほどです。

△川原湯温泉付近の図

△正面入り口

駅舎はホームの上につくられています。 (橋上駅)

旧 川原湯温泉駅より80mほど 高い場所に造られた、JR吾妻線の
新ルートです。(正面は不動大橋)

駅の駐車場を出て左折するとすぐにトンネルがあり、付近は工事
中でした。
トンネル手前 左にある小さなお堂は、温泉街奥の高台にあった
川原湯神社 から移転した薬師堂のようです。

トンネル前の細道を左折して坂を下りると、右手に閉鎖された
足湯がありますが、今は人影もなく落ち葉が積もるばかり・・・

△共同浴場「王湯」からのお知らせ

「王湯」の建物はそのままで、温泉街もひっそりと静まり返って
いました。。。

先ほどのトンネルの先の代替地に川原湯温泉街が移転していて、
「王湯」は7月5日に新規開業しました。

△新 「王湯」

「王湯」から東を望むと、八ッ場大橋(湖面1号橋)が見えます。

△八ッ場大橋は2014年10月に完成した橋で、旧川原湯温泉駅の
ほぼ上に位置しています。全長494m、高さ77.5m。
2020年(平成32年)に八ッ場ダムが完成すると、高くそびえる橋脚
の大部分は水没してしまうらしい・・・。
不動大橋から眺める紅葉風景が湖底に沈んでしまうなんて、イメ
ージするのも恐ろしい光景で信じられない気分になります。
歴史ある川原湯温泉が息を吹き返し、繁栄しますように!
◆だんべー.com 川原湯温泉「王湯」
http://www.dan-b.com/yu_ouyu/
2015年11月17日
アプトの道の紅葉♪

12月1日午前10時オープン!が決まった「峠の湯」に立ち寄って
みました。 11/16
壷風呂の設置や、エアーレスジェットバス、宴会もできる大広間な
ど、今までの機能・設備をさらに充実させ、皆様により満足してい
ただけるような施設となりました。皆様のご利用をお待ちしており
ます。(安中市ホームページより)

△遠足マラソン(5/10)のときには、まだこんな感じでしたが・・・

オープンを控えて、完成した建物への備品の搬入で忙しそうです。

紅葉がすすんだ池の周辺を散策してから

碓氷湖へ向かうと、湖畔のモミジの見頃は過ぎた感じですが、大型
バスや他県の車が次々に訪れて賑わっていました。

アプトの道の紅葉を見ながらウォーキング。。。

トンネルを通過してめがね橋に到着。

何度見ても、この橋梁の壮大さに圧倒されます。

碓氷湖畔とめがね橋駐車場にトイレが新設されました^^。

ブラタモリ に碓氷峠が登場するそうです。
「♯24 軽井沢への道
~人はどう峠を越えてきた?~」
←クリックで拡大
☆新緑の頃はこんな感じ→新緑のアプトの道とめがね橋
2015年11月10日
吾妻渓谷の紅葉と道の駅♪

吾妻渓谷の紅葉が見頃らしいので出かけました。 11/6

長野原方面から145号線を走ると、工事のため不動
大橋の手前で一般車両は通行止めでした。
左折して少し坂を上ると、道の駅「八ツ場ふるさと館」
があります。

△不動大橋(湖面2号橋)は2011年4月の完成。全長590m、高さは
86m。

以前は橋からJR吾妻線を眺められたのですが、2014年9月に運行
は終了しました。2013年はこんな感じ・・・

橋からはエメラルドグリーンの吾妻川と紅葉の渓谷を
一望することができます。

多くの観光客でにぎわう道の駅にはレンタサイクルも用意され・・・

渓谷を眺めながらの足湯も人気があります。

「かたくりの湯」という名前や泉質も掲示されています。

こちらは何だろうと覗いてみたら、「手湯」でした^^。
◆道の駅 八ツ場ふるさと館
http://yambamichinoeki.com/
2015年02月15日
伊香保のチンチン電車 ♪
渋川市内から伊香保温泉街に向かう坂道をドライブしていると、
「伊香保」という信号の左側に、路面電車らしきものが見えます。

2014年4月に竣工されたという小さな「峠の公園」 2014.10.29撮影

このあたりは「峠の三差路」と呼ばれていたとか。

市内の平形眼科医院で大切に保管されていた車体を市に寄贈し、
これに愛知・豊橋市の山中に残されていた国内唯一の台車(ブリ
ル21E型)を修復し、取り付けて保存展示しているようです。
◆群馬県HPの記事「チンチン電車がやってきた」
http://www.pref.gunma.jp/01/z0198531.html

△チンチン電車の案内板
チンチン電車の走っていた東武鉄道伊香保軌道線は渋川~伊香保間の伊香保線(12.6キロメートル)、前橋線、高崎線の3線があり、路線の合計距離は48キロ。輸送人員は年間495万人に達したそうです。伊香保温泉への観光客も利用したことでしょう。

△1996年(昭和31年4月9日)大日向-離山間 赤城展望
(撮影:田部井康修氏)
電車の脇に当時の写真パネルが展示されていて、当時の懐かしい
風景が見られます。

※路面電車内部の見学は
毎月第3日曜日 午前9:30~午後3:30
◆峠の公園
「伊香保」という信号の左側に、路面電車らしきものが見えます。

2014年4月に竣工されたという小さな「峠の公園」 2014.10.29撮影

このあたりは「峠の三差路」と呼ばれていたとか。

市内の平形眼科医院で大切に保管されていた車体を市に寄贈し、
これに愛知・豊橋市の山中に残されていた国内唯一の台車(ブリ
ル21E型)を修復し、取り付けて保存展示しているようです。
◆群馬県HPの記事「チンチン電車がやってきた」
http://www.pref.gunma.jp/01/z0198531.html

△チンチン電車の案内板
チンチン電車の走っていた東武鉄道伊香保軌道線は渋川~伊香保間の伊香保線(12.6キロメートル)、前橋線、高崎線の3線があり、路線の合計距離は48キロ。輸送人員は年間495万人に達したそうです。伊香保温泉への観光客も利用したことでしょう。

△1996年(昭和31年4月9日)大日向-離山間 赤城展望
(撮影:田部井康修氏)
電車の脇に当時の写真パネルが展示されていて、当時の懐かしい
風景が見られます。

※路面電車内部の見学は
毎月第3日曜日 午前9:30~午後3:30
◆峠の公園
2014年12月24日
伊香保温泉/石段街の十二支 ♪
伊香保温泉石段街上り口の看板に
「12軒の宿が江戸時代に引湯権を与えられ、それぞれ十二支を屋号
とし、明治維新まで年番で名主や伊香保口留番所(伊香保御関所)
の役人を勤めていました。」と記されています。
石段街には200年以上昔に大家と呼ばれる12の温泉宿があり、干
支はそれぞれの家紋のような意味合いを持っていました。(渋川伊
香保温泉観光協会HPより)
現在は石段街の12軒の大家の屋敷跡に、それぞれの干支のプレー
トが埋め込まれているそうなので、探してみることにしました。10/29

最初に見つけたのは千明仁泉亭前の『酉』▽

△酉の向かい側には『亥』

なつかし横丁前に『馬』▽
『馬』の向かい側に△『戌』

湯の花まんじゅうの看板下に『巳』

巳の斜め向かい側に『子』

△『子』 △『巳』

岸権旅館前には辰のプレートと「辰の湯」という
足湯があります。

江戸時代、辰年となると岸権旅館の館主が関所に
於いて主をつとめたそうです。(岸権旅館HPより)

△『辰』


△射的の大坂屋前に『寅』


△左側の柏屋旅館の前に『未』 △『卯』

いよいよ最後の石段を上ると、小間口(小満口)が見られるようにな
っている手前に、『申』と『丑』のプレートがあります。

小間口とは湯元から流れる源泉を分岐させているものです。

△『申』 △『丑』
・・・来年の干支も自分の干支も、しっかり見つけました^^。
◆渋川伊香保温泉観光協会
http://www.ikaho-kankou.com/
◆伊香保 黄金の湯 小間口
http://www.ikaho-koganenoyu.net/
「12軒の宿が江戸時代に引湯権を与えられ、それぞれ十二支を屋号
とし、明治維新まで年番で名主や伊香保口留番所(伊香保御関所)
の役人を勤めていました。」と記されています。
石段街には200年以上昔に大家と呼ばれる12の温泉宿があり、干
支はそれぞれの家紋のような意味合いを持っていました。(渋川伊
香保温泉観光協会HPより)
現在は石段街の12軒の大家の屋敷跡に、それぞれの干支のプレー
トが埋め込まれているそうなので、探してみることにしました。10/29

最初に見つけたのは千明仁泉亭前の『酉』▽


△酉の向かい側には『亥』

なつかし横丁前に『馬』▽


『馬』の向かい側に△『戌』

湯の花まんじゅうの看板下に『巳』

巳の斜め向かい側に『子』


△『子』 △『巳』

岸権旅館前には辰のプレートと「辰の湯」という
足湯があります。

江戸時代、辰年となると岸権旅館の館主が関所に
於いて主をつとめたそうです。(岸権旅館HPより)

△『辰』


△射的の大坂屋前に『寅』



△左側の柏屋旅館の前に『未』 △『卯』

いよいよ最後の石段を上ると、小間口(小満口)が見られるようにな
っている手前に、『申』と『丑』のプレートがあります。

小間口とは湯元から流れる源泉を分岐させているものです。


△『申』 △『丑』
・・・来年の干支も自分の干支も、しっかり見つけました^^。
◆渋川伊香保温泉観光協会
http://www.ikaho-kankou.com/
◆伊香保 黄金の湯 小間口
http://www.ikaho-koganenoyu.net/
2014年10月30日
伊香保温泉の紅葉 ♪

もみじが色づきはじめたようなので

伊香保温泉に立ち寄ってみました。 10/29

△紅葉橋
伊香保神社と薬師堂前では俳優さんが大正時代風の衣装で
ドラマ(映画?)の撮影中。足止めされた観光客で、石段街は
渋滞していました。
あとで知りましたが、初代県令(県知事)の楫取素彦(かとり・
もとひこ)が主人公のドキュメンタリー映画「初代群馬県令・楫
取素彦物語」の撮影でした。
2015年のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の撮影だったら、大沢たかお
さんに会えたのになぁ。。。(10/31 追記)

もみじ以外はきれいな色づきですが

「河鹿橋」の紅葉の見頃は、まだ少し先のようでした。

△ポスターではこんな感じ・・・

散策途中に、思いがけない場所で鮮やかな紅葉に
出会ったりします。

秋晴れの伊香保温泉は観光客でにぎわっていました^^。