群馬で出会った自然や季節の花、文化遺産、つぶやきなどを写真で綴ります。
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2015年08月24日

萩原鐐太郎と「萩原古文書館」


 数年前 偶然通りかかった東上磯部の踏切近くで、茅葺屋根の趣
 ある門の旧家が目に留まり、車を降りて見ると「萩原家古文書館
 入口」と書かれていました。


 △萩原家本家の名主門
 公開されている様子ではなかったので外からちょっとのぞいただけ
 でしたが、今回 古文書館で 秋の展示会用の文書をお借りすること
 になり、その選別作業のため訪問することができました。  8/19


 △母屋と蔵
 江戸時代に代々名主を務めた萩原家は、碓氷社の社長を務めた
 萩原鐐太郎の生家です。

萩原家所蔵文書 (安中市指定重要文化財)
萩原鐐太郎(りょうたろう、天保14(1843)年~大正5(1916)年)は、江戸時代、東上磯部村の名主総代を勤め、明治時代以降は13ヶ村の肝煎名主を勤めたほか、碓氷郡役所書記、碓氷郡長、群馬県会議員、衆議院議員、碓氷社社長を歴任しました。萩原鐐太郎は、萩原家に伝わる江戸時代から明治時代にかけて村民生活関係の文書、養蚕や碓氷社に関する記録を整理して保管しました。萩原家所蔵文書はこうした文書など4000点近くが整理されて保管されています。(引用:安中市ホームページ)
 


 お庭の松にも時代を感じます。
 

 セカンドハウスのような平屋の古文書館に入ると、
 

 △左は切支丹禁制の御触れ
 壁にはいくつも江戸時代の高札が掲げられています。
 

 資料室の棚には鐐太郎が残した算術・理化学・法学・
 歴史・修身などの本や
 

 さまざまな資料が分類されています。
 

 古文書館を造ったのは現当主 萩原宗一郎さんの祖父
  弥六さんですが、研究者のためにキッチンやお風呂な
 どが整えられているのには驚きました。
 現在は文書整理が進み、目録ができているようです。


 萩原さんにも加わっていただき、淡路先生と古文書教室
 の先輩方で1点ずつ目を通して、生活・村政・交通関係の
 中から展示に向いた文書を探しました。  
 この日は暑かったのですが、冷房に気を遣っていただき、
 汗っかきにとってはありがたいことでした。


 10畳と6畳間があり、コピー機も用意されています。
 

 △穏やかな表情の萩原鐐太郎肖像画(湯浅一郎/作)
 鐐太郎は独学で専門書を読み、見聞を広めたそうです。

 (参考サイト)ぐんまルネサンス第2部 
http://www.raijin.com/news/kikaku/kinu/kinu0201.htm

碓氷社は、富 岡製糸場が機械製糸 による生産を行っていたにもかかわらず、 江戸時代 に発明された上州座繰(手動式機械)による製糸方法を選択しました。これは、座繰製糸の方が品質が安定することと、なにより農家の利益確保一家団らんを優先した萩原鐐太郎の信念によるものでした(参考:学習の森だより№12)


 作業中、何度も窓の外を信越本線の電車が通過しました^^。

 養蚕・製糸業に一生を捧げた萩原鐐太郎の精神が子孫の
 方々に引き継がれ、生き続けている萩原古文書館。
 蔵出しの古文書に触れてみたいという贅沢な願いが叶い、
 貴重な体験ができました。ありがとうございました。
 
萩原古文書館  安中市東上磯部852
 
  


Posted by 風子 at 10:59Comments(3)■古文書講座

2014年03月08日

学習の森「主催・講座作品展」の古文書展示 ♪


 3週間前の大雪が残る安中市学習の森「ふるさと学習館」


 市民ギャラリー入口には「木の実人形講座」「ジオラマづくり講座」
 「竹の会」の作品が並び
  

 森の古文書会のメンバーが古文書の展示準備をしました。 3/7
                           photo : H.AWAJI

 2012年11月に淡路博和先生を囲んで発足した森の古文書会
 すが、初めて学習の森 主催・講座作品展に参加しました。 
 安中市の旧家が所蔵していた古文書史料を会員が1~2点解読
 し、解読文・解説文を展示しています。
 江戸後期の興味深い文書で、地域の歴史に触れてみませんか?
 仏画とわかりやすい解読文の古文書に囲まれて、静かなひととき
 をお過ごしください。

学習の森 主催・講座作品展  
  期 間:平成26年3月8日(土)~23日(日)  
  ところ:学習の森ふるさと学習館 市民ギャラリー
  開館時間:午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
  入場料:無料  休館日:火曜日   TEL027-382-7622
 【主催講座】竹細工講座・機織り講座・木の実人形講座・ジオラマ
         づくり講座
 【協力】竹の会・さかえ仏画の会・森の古文書会 


  


Posted by 風子 at 20:18Comments(4)■古文書講座

2014年02月08日

江戸時代の秤(はかり) ♪


                       学習の森 2013/11/10

 平成25年度に「学習の森」で開講した講座の受講生と講師の
 作品を展示する学習の森主催講座作品展
 あります。
  ■ 日   時  平成26年3月8日(土)~23日(日)  
  ■ と こ ろ  学習の森ふるさと学習館 市民ギャラリー
  ■ 開館時間 9:00~17:00 (入館は16:30まで) ※無料
   【主催講座】 竹細工講座・機織り講座・木の実人形講座
           ジオラマづくり講座
   【協   力】 竹の会・さかえ仏画の会・森の古文書会

 ということで、森の古文書会の仲間は資料展示のための解読文と
 解説文を作成中ですが・・・友人が、解説文に「秤改の触書(はか
 りあらためのふれがき)」というタイトルを付け
 た文書を見せてくれました。

 そこに守随(しゅずい)彦太郎というめずらし
 い名前があり、「不正の秤は役人が廻って取
 り上げる、もし秤を隠していて勝手に改造した
 秤を使っていることが発覚した場合は処罰さ
 れる」
などと書かれているのが興味深く、調べてみると・・・

 江戸時代の銀貨は棒状の丁銀や粒状の豆板銀で、その形や大
 きさは一定ではなく通用金額も書かれていないため、取引・両替
 の際には秤で量って金額を決めていました。
 そこで、江戸幕府は秤の精度を保ち「ニセ秤」を取り締まるため、
 秤座(はかりざ)を設けました。
 秤座は江戸幕府の特別認可を得て秤の製造・頒布・検定・修繕
 などを独占し、江戸秤座守随彦太郎京都秤座神(じん)
 善四郎
によって、秤改(はかりあらため)が行われ、守随氏の
 東国三十三カ国、神氏の西国三十三カ国という販売等の分担が
 決められていました。 

 のちに秤座は各地方に秤座出張役所または秤座役所を常設した
 り、地元住人に秤座役人の資格を与えることで、全国の秤の統一
 が達成されましたが、明治8年8月度量衡取締条例が発布され、
 明治9年2月に秤座は廃止されました。
 明治以降、守随氏は名古屋で秤の販売業を営み、現在も産業
 用計量機器メーカーの守随本店として続いています。(Wikipedia) 


 江戸時代の地方文書を読むことで、当時の世の中の様子や、庶
 民の暮しぶりを身近に感じることができます。
 古文書は秤に関しても、様々なことを語りかけてくれました^^。

 ≪参考サイト≫
  ISIDA はかりの歴史館
  http://www.ishida.co.jp/rekishikan/index.php
  


Posted by 風子 at 13:51Comments(2)■古文書講座

2014年02月02日

幕府御用材伐出しの日記(3)♪

資料のコピー状態がよろしくないことなど種々の理由から、
残念ながら古文書教室での「川浦山御材木御伐出御用
中日記」の解読は中止となりましたが、興味は尽きません。

 
 里見町方面から草津街道(406号)で権田の信号を
 54号へ入り、高崎市と吾妻郡長野原町の境にある
 二度上峠に向かうと         2013/10/21

 
 
 「はまゆう山荘」の先の65番カーブに標柱と解説板が
 あることに気付きました。停まってみと・・・

 
 解説板はもっと山深い場所にあるのかと思い込んで
 いましたが、ここだったとは! (拡大します)

 
  △川浦山御用材伐出し川浦高芝会所絵図
    (宮下大十郎家蔵)     倉渕村誌(第4巻)より

 「この会所は江戸から派遣されてきた役人たちが寝起きし、
 杣(そま=きこり)や日雇い人夫などが小屋掛けをして山
 仕事に当たっていたのであろう。」と書かれています。
 御会所陣屋とも呼ばれ、大勢の人夫の仕事を監督する
 場所で、この辺りの山にあったのは確かなことのようです。

 陣屋には、黒保根の歴史民俗資料館で見た旗が掲げられ
 ていたそうです。 
  


Posted by 風子 at 22:46Comments(4)■古文書講座

2013年11月21日

第37回安中市民展 「私たちの郷土資料展」 ♪


 何もなかった体育館にパネルが次々と運び込まれ     
 

 それぞれのブースができ上がっていきます。       11/20
 

 今年の古文書コーナーのテーマは『西上秋間村の古文書を読み
 解く』です。
 
 
西上秋間の名主さんが所蔵していた文書をお借りして、安中古文
書学習協議会会員が1点づつ解読し、解説文を付けて展示しました。


 江戸時代の西秋間村の歴史に触れるよい機会です。
 ぜひお出掛けください^^。

  絵画・陶芸・手工芸・書道・写真・華道の
  素晴らしい作品icon12もご覧下さい。  ☆展示作品はこちらに♪

 第37回安中市民展「私たちの郷土資料展」
 ■会場:安中体育館(旧安中高校体育館) 安中市安中2-13-7
 ■日時:11月21日(木)~26日(火) 
   ※安中地域小中学校児童生徒作品展同時開催
   ※校庭に駐車できます。  


Posted by 風子 at 21:10Comments(7)■古文書講座

2013年06月30日

幕府御用材伐出しの日記(2)♪

古文書教室で
「川浦山御材木御伐出御用中日記」の解読が続いています。

幕府がこの大事業を請け負わせたのは、吾妻郡大戸村の加部
安左衛門
と勢多郡水沼村の星野七郎右衛門でした。
その星野七郎右衛門関連の古文書などが展示されているという、
桐生市黒保根町の「歴史民俗資料館」へ出かけました。 
黒保根地区の人々に受け継がれてきた歴史資料1万5000点、民
俗資料3000点を所蔵しているそうです。           6/18


 △歴史民俗資料館入口
 わたらせ渓谷鐡道水沼駅からは車で5分ほどです。
   
  
  到着したときは門扉が閉まっていましたが、隣の建物の
  2階の公民館でお願いすると、係の方が建物内に入れて
  くれます。土日は常駐しているそうです。

 
  △2階の歴史資料室(撮影許可をいただきました)
   1階の展示室には、村で使われていた懐かしい農具などが
   展示されています。

  
  △足尾通見取絵図(国立博物館蔵)の一部
  斜めの道筋は黒保根村内を通る銅(あかがね)街道 
  (銅街道は江戸時代後期、足尾銅山で採掘された銅を
   利根川水系まで運ぶために開通した街道)
    

 △「御用材伐出の申渡書」「御林見分の申渡書」「加部・星野の
  身上書」、お触書き、木数や職人に関する金銭の出入帳など、
  幕府御用材伐出しの細部にわたる文書が残されています。

  巨額の費用が必要な大事業のため、幕府は事業開始前に加部
  安と星野の身元財産調査を行いました。資産・家族・使用人・
  人格などについて記載されています。そのとき加部安は69歳、
  星野は44歳、加部安は老齢のため息子啓助が、星野は金輔が
  補佐しました。

 星野七郎右衛門(9代七郎右衛門朋寛:1791年~1856年)は
 水沼村(後の勢多郡黒保根村、現桐生市黒保根町)の名主で
 あった。天保期(1830年~1843年)には上野国(現群馬県)一国
 を代表する豪農であり、51町6反(154,800坪)の土地、持高にし
 て300石余を有していた。以降代々が、郡中取締役や足尾銅山吹
 所世話役などの役儀と苗字帯刀の特権を受け継いだ。(Wikipedia) 
 
 
  
  △川浦山の御会所に掲げられていた日の丸の旗印

  ≫≫幕府御用材伐出しの日記(1)はこちら
 
黒保根歴史民俗資料館 
 桐生市黒保根町水沼175 
 0277-96-3125 
 ・午前10時~午後4時  ・月曜休館  ・入館料100円
   


Posted by 風子 at 23:04Comments(2)■古文書講座

2013年06月21日

大戸の大運寺/加部安の墓 ♪


 △浄土宗鎮西派華庭山大運寺              (5/8)
 県道58号線の大戸信号を北に向かうと左側に大運寺があります。
 本尊は阿弥陀仏(吾妻町重要文化財)
 

 △大運寺山門   山門脇にはダレザクラの大木icon12

 大運寺は天正年間に大戸村寺原から現在地に移り、開山より650
 年以上が経ちます。大戸の繁栄により檀徒も多く、大戸出身の富
 豪加部安左衛門(通称:加部安)の寄進により荘厳な寺観を誇っ
 ていたようですが、当時の本堂と庫裡は平成2年2月の火災によっ
 て焼失してしまいました。現在の本堂は平成6年に再建されたも
 のです。(案内板より)

 
  △加部弌法翁昭先碑    △加部喜翁墓表
  
 サクラの大木の下には加部弌法(7代 重実)翁の一代を記した
 碑と喜翁(8代 光重)の頌徳碑があり、加部一族の栄華を伝え
 ていますが、文字はかなり読みにくい状態でした。


 古文書の解読で知った加部安左衛門を偲び、訪ねた大運寺です。

 
 △本堂


 △加部家代々の墓(初代から15代まで)

 吾妻郡大戸村の豪商加部安左衛門兼重(10代)はその財力を
見込まれ、天保4年(1833)幕府(老中水野出羽守忠成)の申し渡しにより、上野国碓氷郡の川浦山(幕府直轄御林御巣鷹山、後の群馬郡倉渕村川浦、現高崎市倉渕町)の幕府御用材伐出し事業の現地差指として、水沼村の富豪星野七郎右衛門長兵衛(9代)は経理として、両名の全責任で請負いました。
 文政12年(1829)生まれの加部嘉重(12代)は安政6年(1859)の
横浜開港に伴って、幕府の指名により横浜弁天通へ大店舗を構え、
生糸・麻・呉服・茶・雑貨等を外国人へ売り込み、大きな利益を上げ
ましたが、経営を使用人に任せたため経営不振となり、事業から撤
退し、横浜の店舗を閉めて郷里の大戸へ戻りました。
 子孫は東京に在住しているようです。

 ◆大運寺  群馬県吾妻郡東吾妻町大字大戸371
    


Posted by 風子 at 04:54Comments(0)■古文書講座

2013年06月07日

大戸宿の風景/ 加部安(かべやす)の屋敷跡♪


 △大戸関所跡

 江戸時代、中山道の脇往還である信州・草津街道の宿駅だった
 大戸は、信州や越後からの物資や草津温泉の客、善光寺詣での
 往来などで賑わい、碓氷(横川)関所の裏固めとして、寛永8年
 (1631)に大戸関所が設置されました。
 大戸関所は230余年の間、幕府代官の管理下で運営され、明治
 元年9月に廃止されました。
 関所通行の門限は明六つから暮六つ(午前6時から午後6時)
 までと定められ、通行手形によって往来の旅人を厳重に取締り、
 関所破りは重罪として処刑された記録が残っています。
 幕末に国定忠治がこの関所破りに失敗し、処刑されたことで有
 名になりました。(参考:案内板)


 △大戸関所図 (clickで拡大 )


 △家々には宿場の面影をのこす屋号が掲げられています。
 大戸宿は道路をはさんで両側に68軒の家々が整然と並び、道路
 中央には用水が流れていました。
 

 △加部安左衛門の屋敷跡 (東吾妻町指定史跡)
 大戸関所跡の向かい側の奇妙な家。。。草津の帰りなどに目にし
 て気になっていたこの建物の謎が、ようやく解けました^^。

加部安左衛門
上州吾妻郡大戸村で代々加部安左衛門を名乗り、上州の三大尽
「一加部、二佐羽、三鈴木」の一人といわれました。江戸時代から
明治初期の12代まで、加部安(かべやす)と呼ばれて親しまれ、酒
造業、麻の仲買いなどで巨万の富を蓄え、天明3年(1783)の浅間
山大噴火の際には、私財を投げ打って被災者を救済しました。(8代
目)その他、足尾銅山の再建、江戸城改築費用の負担(倉渕村川浦
山の幕府御用材伐り出し
:10代目)などに協力しました。明治にな
って(12代目)横浜開港に伴い横浜に出店しましたが、失敗に終わ
りました。(参考:「加部安左衛門」丸山不二夫 著)



 △正面入り口
 左奥は町立大戸資料館ですが、現在は公開されていません。
 井戸が残されているようですが、見落としてしまいました。 
 

 △往時の栄華が偲ばれる、十万石の格式を真似たといわれる
  石垣


 △大戸の信号(右は関所跡)
 右折して、加部安左衛門の墓地がある大運寺に向かいました。 
                         (2013/5/8撮影)
 
 ◆加部安左衛門の屋敷跡
    


Posted by 風子 at 15:11Comments(4)■古文書講座

2013年05月17日

幕府御用材伐出しの日記(1) ♪


 △二度上峠からの浅間山                2010.11.6

 古文書教室で
 「川浦山御材木御伐出御用中日記」の解読が始まりました。
 
  碓氷郡川浦山(現・高崎市倉渕町川浦)には、江戸幕府直轄の
 御林として享保元年(1716)の調査により、良質のケヤキの大木が
 あると記録されていました。場所は二度上峠(にどあげとうげ:高崎
 市と吾妻郡長野原町の境にある峠)に向かう「まゆう山荘」先あた
 りの山林です。

  何度も火災に遭ったと伝えられる江戸城ですが、天保4(1833)
 ~6年にかけて、江戸城二ノ丸の修復のため、かねて目を付けて
 いた碓氷郡川浦山のケヤキを大量に伐出(きりだ)すことになりま
 した。
  現地からは烏川へバラで流し、高崎あたりで小筏に組み、次に
 新町あたりで大筏に仕立て、利根川・江戸川を下り、支流に入り
 9日間で猿江(江東区)の会所に納められたそうです。

  川浦山から江戸まで、多くの人手と莫大な費用をかけて実施され
 ましたが、幕府はこの大事業を、吾妻郡大戸村の加部安左衛門
 と勢多郡水沼村の星野七郎右衛門に請け負わせました。
  この事業の詳細を星野七郎右衛門が記録したものが「天保四年
 上州碓氷郡 川浦山御材木御伐出御用中日記」です。

  古文書教室で、かなり読みにくい状態の120枚の文書コピーと
 33枚の資料コピーをいただいた時、新参者はその分量に思いきり
 不安を感じましたがicon10・・・
 さ~て、無事に読み進めていけますかどうか^^;
 
 ≫≫幕府御用材伐出しの日記(2)はこちらです。   


Posted by 風子 at 21:14Comments(2)■古文書講座

2013年04月05日

和宮の行列 ♪


 坂本公民館 古文書教室の2回の特別講座は、佐藤義一先生
 による坂本宿に残された「和宮様 御下向 御用留」文書や資料
 の解説で、一般の人の参加もあり盛況でした。     3/29
 (1回目は2/22)  

 和宮下向の大行列は文久元年(1861)10月20日に京都桂御所
 を出発、25日をかけ136里(約534km)の中山道を江戸へ向かい
 ました。
 一日平均約5.7里(約22.4km)の行程で、坂本宿は11月10日
 (旧暦)に通過しました。現在の暦では11月末~12月初め頃の
 ようです。当時の坂本宿の戸数は162軒、宿屋は40軒でした。


 △行列の順番をつなげると長~くicon12なりました。 

 宮家のお姫様が、将軍家に輿入れのため中山道を下向するのは
 初めてではありませんでしたが、その規模費用において皇女
 和宮の下向は群を抜いていた
ようです。
 和宮下向は朝廷や幕府の威信をかけた一大イベントicon12
 行列を描いた錦絵絵図などが刷られ、みや
 げものとして地方にも運ばれました。 
                      
 行列は警備や人足を含めると25,000人にのぼり、多すぎるの
 で4日間に分かれて出発しました。
 文書「御用留」には、坂本宿を通過した4日間の人足や馬数が詳
 細に記され、3日目の数が一番多いので、この日が和宮通過の
 日だと推測されるそうです。
 各宿場に通達された御証文には23もの命令・禁止事項が羅列
 されています。
 たとえば「道路には敷砂せよ」については、峠の権現様(熊野神社)
 から坂本宿までは時間も人足も足りず、実行できなかったようで
 す。
 その他、雨戸は締め切り、覗き見をしてはいけない、物音をさせる
 な、犬はよそへ連れて行き縛っておけ、火を使うな、宿に人を泊め
 るな・・・
など、滑稽と思えるほどの気配りですが、宿場の人々は
 不眠不休の準備に疲れ果てて、逃げ出した者もいたそうです。
 御上の都合に振り回される庶民の姿が、目に見えるようです。

 公武合体を世に示すための下向でしたが、その費用は各藩に割
 り振られ
、総額74万両(約100億円)ほどかかり、各藩の赤字は
 明治の世になっても解消されなかったということです。
           参考:古文書教室資料「身分の高い方の通行」
     


Posted by 風子 at 10:41Comments(0)■古文書講座

2012年11月05日

初心者のための「古文書講座 」終了♪

 しばらくブログ更新を怠けておりました(^^ゞ
 ボチボチはじめようかと思いますが・・・



 △淡路博和先生
 
 10月7日から安中市学習の森・ふるさと学習館で始まった、
 碓氷歴史考古学講座の初心者のための「古文書講座 」

 毎週日曜日に回を重ね、11月4日に最終回(第5回)を迎え
 ました。(気持に余裕がなく、途中講座の報告はできません
 でしたがicon10

 「横川関所の手形」文書から始まり、鷺宮村名主が発行した
 「往来手形」、「人別送り状」や「離縁状」(普通の三下り半で
 はなく、理由も書かれた珍しい文書)、茶屋本陣(お東)で見つ
 かった「請取り書」、そして最後に「安政遠足マラソンの規定
 文書
」『安詞壱番 御用部屋覚(あんしいちばん ごようべや
 おぼえ)』という、豪華なラインナップicon12

 最初、初心者にはちょっと難しいかなぁという感じはしましたが、
 文字の読み方を知るだけではなく、文書にまつわる時代背景や
 悲喜こもごものの庶民生活のお話、安中藩や安中城に関連の
 ある植物の解説など、とても中身の濃い内容でした。
 
 特に5回目の『安詞壱番 御用部屋覚』は、以前から一度は原
 文を読んでみたいと思っていた文書なので、「次はこれです」と
 渡されたときは、嬉しくて飛び上がりそうになりました^^。
 
 で、最終回が終了しましたが、ほとんどの受講者が“もっと学び
 たい”という気持だったようで、自主教室という形で淡路先生に
 続けて教えていただけることになりました。!☆!☆!☆!kirakira01

 ということで、、、
 ブログを書く時間はあまりつくれないと思います。m(__)m

   


Posted by 風子 at 19:27Comments(2)■古文書講座

2012年10月09日

初心者のための「古文書講座 」(1)♪


 安中市学習の森・ふるさと学習館で始まった、碓氷歴史考古学
 講座の古文書講座(初心者編)第1回に参加しました。
 講師は淡路博和先生(安中市文化財調査委員)  10/7
  
←2001年7月発行の教育テレビの
 テキストを時々眺めては、ため息。
 勉強したい気持は常にありました
 が、いつの間にか10年以上も時が
 流れて…長ーいまわり道でした。
 が、今回いろいろなご縁のお陰で
 ようやく機が熟し、初心者としての
 第一歩を踏み出せました^^。

 

 ▲真言宗豊山派 圓明寺

 今回は「関所手形」を学びましたが、文中に「圓明寺」という
 お寺の名前があり「?…どこかで見たような」と思っていると、
 学習の森に通う時にいつも通っている、安中市下間仁田の圓
 明寺であることがわかりました。
 圓明寺が発行した関所手形が遺されていたそうですが、地域に
 遺された古文書を読み解く楽しみに触れることができ、次の
 講座が楽しみです。



 ▲第12回企画展
  碓氷郡の神と仏 
  2012/11/3(土)~2012/2/3(日)
  安中市学習の森 ふるさと学習館
   安中市上間仁田951番地   Tel:027-382-7622
   開館時間:午前9時~午後5時
   休 館 日:毎週火曜日・祝日の翌日・年末年始
   http://www.city.annaka.gunma.jp/gakushuunomori/

  
  


Posted by 風子 at 21:19Comments(2)■古文書講座