群馬で出会った自然や季節の花、文化遺産、つぶやきなどを写真で綴ります。
< 2017年06月 >
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Information

2016年10月02日

第16回鼻高展望花の丘コスモス祭りin16 ♪


 青空が待ちきれない人々の車が途切れることがありません。9/30


 今年は姿のよいヒマワリとコスモスが並ぶ畑が見られました。


 早咲きのコスモスは咲き終わっていましたが


 これから次々と咲きそうな感じ・・・
 

 コスモス祭りは10月16日まで開催されています。
  


Posted by 風子 at 17:25Comments(2)* 花の名所

2016年09月26日

やっと晴れ♪


 久しぶりの晴天icon12  9/25


 秋らしい雲に誘われて公園を歩くと・・・
 

 浅間山の右側に、小さな虹のような彩雲が見えました。


 散歩道のコスモスでも・・・和みます。。。
  


Posted by 風子 at 16:54Comments(2)日記

2016年09月19日

チャツボミゴケと太子線 ♪

 草津温泉の帰りにチャツボミゴケ公園を訪れました。 9/1


 遊歩道のすぐ脇に褐鉄鉱がむき出しになっていて、びっくりです。


 △褐鉄鉱の案内板

 かつてここは群馬鉄山と呼ばれ、国内第2位の生産量を誇る露店掘り鉱山で、最盛期には2,000人以上が従事し、昭和19年(1944)の操業開始から昭和41年(1965)の閉山までに約300万トンの鉄鉱石を産出しました。


 △当時の露店掘り風景(リーフレットより)借用)
 

 鉄鉱石は群馬鉄山から太子(おおし)駅までは索道(空中ケーブル)で運搬され、長野原~太子間には鉄道が敷設されていました。


 
その後、露天掘りの跡地はチャツボミゴケ公園となりました。
 チャツボミゴケは世界中のコケ類約18,000種の中でも最も耐酸性の強い特異な苔ですが、ここでは東アジア最大級のチャツボミゴケの群生が見られ、その環境や生態系が評価され、周辺の自然遺産(芳ケ原湿地群)とともに、平成27年5月、ラムサール条約に登録されました。


   以前はなかった、しっかりした木道が設置されています。
 

 チャツボミゴケが群生している穴地獄には、PH2.8の強酸性の鉱泉が湧出しています。


 この地には鉄鉱石でっできた底が見えないほどの深い穴があり、その中へ山の動物が落ちて死んだことから、穴地獄と呼ばれました。


  12月1日より翌年4月下旬までは冬季閉鎖となります。

 2012年のチャツボミゴケ公園はこちら
  


Posted by 風子 at 16:05Comments(2)*おすすめスポット

2016年09月11日

八ツ場ダムの展望台♪


 八ツ場バイパスを草津方面に向かって走っていると、左側のおそばやさんの裏手の高台に「無料展望台」と「やんば見放台」の看板が見えました。みほうだい?


 これが最近できた展望台のようです。 
   

 専用駐車場に駐車して坂を上ると・・・なるほど
 見晴らしのよい場所です。


 無料の双眼鏡も設置されていて・・・


 ふ~ん、ここがダムの本体ですか。。。




 △空から見た八ツ場ダム本体工事の状況
 

 △八ツ場ダムの概要


 八ツ場大橋方面から雨が迫ってきました。 8/30
  


Posted by 風子 at 15:47Comments(2)*おすすめスポット

2016年09月06日

夏の風景2016 ♪


 榛名湖にて 8/8


 台風一過 8/31
 

 

 散歩道で 8/31 


 





 中之条町にて 9/1
  


Posted by 風子 at 15:56Comments(4)日記

2016年08月25日

中之条町の市城砦 ♪


 渋川から353号線を中之条に向けて走っていたとき、
 小野上温泉を通過した先の崖の上に、チラリと六文銭
 が見えました。 4/8
 


 大河ドラマ「真田丸」人気で、こんなところにも六文銭?
 と、停車して見ると・・・ 
 「市城砦南部郭の出丸跡」という案内板に、砦の詳細な
 解説がありました。


 かつて渋川市村上に岩井堂砦(城)があり、市城砦は
 その支城だったようです。


 狭く急な坂道を這うようにして登ると、黒澤明監督の
 映画を思い起こさせてくれるような、柵をめぐらした
 手造り感いっぱいの櫓がありました。


 眼下には吾妻川が流れ、武田・北条・真田の争奪と攻防に明け暮
 れた戦国時代の雰囲気を味わうことができます。
 

 どうやら土地を所有する方が個人で復元されたようです。


 櫓には「危険なので櫓に登らないように」との注意書きがあります。


 完成したばかりのような砦跡でしたが、交通量が多く
 駐車場もないので、見学はくれぐれもご注意ください。
  


Posted by 風子 at 17:17Comments(2)■ 文化遺産めぐり

2016年08月17日

下里見町の「ぴんころ地蔵尊」♪


 下里見の信号脇にある看板です。
 錫杖が“串だんご”のように見えます^^。2016. 2.8


 参道の左右に並ぶ歌碑を詠みながら坂を上り


 鋭い目つきの狐さんにも挨拶して・・・


 里見城址の東、鬼門にあるのが城山稲荷神社です。


 本堂内部はこんな感じ。。。
 

 左手の長寿地蔵尊にピンピンコロリをお願いします。


 △ぴんころ地蔵尊(長寿地蔵尊)

 ピンピンコロリとは、健康長寿で亡くなる直前まで元気に活動し、
 寝込まず楽に大往生したいという意味だそうですが、つまり心
 筋梗塞などの心臓疾患による突然死のこと?
 男女とも長寿日本一の長野県(2003年のデータ)には、県内でも
 有数の長寿を誇る佐久市。薬師寺境内に、「ぴんころ地蔵」が建立
 されているそうです。
  


Posted by 風子 at 16:35Comments(2)■ 文化遺産めぐり

2016年08月06日

丹生湖の丘のひまわり畑 ♪


 丹生湖(にゅうこ)に沿ってクルマを走らせると、案内板の向こうに
 ひまわり畑が見えました。   8/5


 西側に駐車スペースがありますが、混雑時は足りない
 ようで、「丹生湖の駐車場を利用してください」と表示さ
 れています。


 妙義山を背景に、丘一面が黄金色に染められてicon12
 

 丹生湖を望むと、ひまわりは後ろ姿ですが。。。
 

 10年ほど前から休遊地を利用して育て始め、約3
 ヘクタールに20万本ものひまわりが咲いているとか。
 (参考:上毛新聞8/5の記事)


 見晴らし台には次々と見物客が訪れていました。
 入園料は無料。展望台利用料は有料(料金は「お気持ち」で)と
 市のホームページに書かれています。
 見事な風景に感謝しつつ、ペットボトルに硬貨を入れました^^。

 ▽ひまわり畑はこのあたり

  


Posted by 風子 at 15:49Comments(2)* 花の名所

2016年07月30日

きょうの雲♪


 久々に ハケで掃いたような すじ雲    11:17


                           12:59


  


Posted by 風子 at 13:19Comments(0)パノラマ生活

2016年07月22日

風になった人♪

 

 7月10日の朝 

 「イトスギ」ブログのruriri さんが亡くなりました。


 たまたま同じ頃の群馬への移住者としてし親しくなり、病に立ち

 向かう心の糧になれば・・・と、「イトスギブログ」の立ち上げに

 協力させていただきました。


 いく度か二人で出掛けた時のシーンが鮮明に想い出されます。

 少女のままの純真な好奇心と、心に響いたものに感動したときの

 すてきな笑顔を忘れられません。

 信じられないほどの農婦スタイルで、草花や野菜の手入れに

 いそしむ姿が今も瞼にやきついています。

 彼女からの、やさしくていねいに綴られたバースデーレターが

 遺され、その気持ちに対して何も答えてあげられなかったことへの

 悔恨と、深い喪失感にとらわれています。


 つらい闘病生活から解き放たれ、天国で安らかに眠る・・・

 というより、彼女は本来の姿を取り戻しあの唄のように自由な

 風になり、旺盛な好奇心で何かを発見して、おもしろがっている

 ような気がしています。

 また会える日が来ますように・・・

 しばらくはそちらでお待ちになっていてください。


  
 雨のお庭に言葉もなくたたずむと、彼女が好きだった白い花が 

 さびし気に雨に打たれていました。    (合掌)

  


Posted by 風子 at 10:20Comments(2)日記

2016年07月09日

真田氏ゆかりの松代城跡♪

大河ドラマ『真田丸』で、真田家ゆかりの地として注目されている松代城跡を訪ねた時の写真です。 (photo 2015.11.4)


 △太鼓門     
 松代城は千曲川を天然の外堀として武田信玄が築城し、信玄と上杉謙信が激突した川中島の戦いでは武田軍の拠点とされましたが、当時は海津城とよばれていました。
 真田幸隆(信繁の祖父)はこの戦いでの活躍が認められて、武田家の重臣となりました。
 その後、関ケ原の戦いで東軍についた信之は、昌幸(父)・信繁(幸村)と敵味方に分かれましたが、東軍の勝利により信之は上田城主になり、昌幸・信繁は高野山へ配流となりました。
 

△松代城跡の図


 △石垣と内堀
 元和8年(1622)、徳川家の命で上田から松代へ移封された真田信之(信幸)が松代城を中心に城下町を築き、真田十万石として信州最大の藩として繁栄しました。
 

 松代城は明治4年(1871)の廃藩置県までの約250年間、松代藩真田家の居城として使われ、城下には武家屋敷や真田家ゆかりの寺が多く見られます。


 △南の櫓門
 
 池波正太郎の『信濃大名記』には、元和8年(1622)8月、
幕府より国替えを命じられ、二ヶ月後に信之一行が上田城
を発って松代へ向かうときの様子は「三十余年に亘る真田
家の善政をよろこんでいただけに、やがて来る新しい領主
の治政に不安を抱く領民たちが、心から信幸を慕って沿道
に群れ集まり、別れを惜しんだ。」と描かれています。


 本丸跡は広場になっていて、桜樹などが植えられて
 散歩道としても最適な感じ。


 △当時の石工の技術の高さを物語る、ダイナミックに天然石を積み
 上げた野面積み(のづらずみ)の石垣。


 △戌亥隅櫓台
 石垣の上は展望台になっています。


 2004年(平成16年)太鼓門、堀、石垣、土塁などが
 復元され、松代城跡は2006年(平成18年)には日本
 100名城に選定されました。


 彼方に北アルプスの峰々が望めますが、左でとがって
 見えるのは鹿島鎗ケ岳かも。。。
   


Posted by 風子 at 13:27Comments(2)真田街道めぐり

2016年07月02日

麻苧(あさお)の滝で癒されて・・・♪


 △麻苧のつり橋

 国道18号線で碓氷峠鉄道文化村を過ぎると碓氷
 バイパスと旧道(中山道)の分岐点があります。
 左に入ると上りになり、坂の途中に麻苧の滝の案内
 板があり、左折して右に下ると奥に駐車場があります。


△つり橋にある案内図 (拡大します)


 △松井田町の町の鳥「オシドリ」と町の花「ウメ」
 

 つり橋を渡って左の森の方へ行くと 


 麻苧の滝への登坂道入り口があります。


 ひんやりとした空気が心地よく・・・ 


 滝に向かう道の左右に「あさを七滝七福人」が建立
 されていますが、おもいがけない場所に毘沙門天。


 あさを七滝は曽滝(そうだき)・祖滝・父滝・母滝・自
 行滝(じぎょうだき)・子滝・孫滝とありますが、たぶん
 これが自行滝。 


 ちょっと怖い場所もあります。。。 


山の翠(みどり)に染まったかのような不動明王像や


妙空夢童子・子之権現・摩利支天・明心霊神などの石像も。


 駐車場から15分ほどで父滝(麻苧の滝)に着きました。
 冬は凍結で知られる麻苧の滝です。母滝も姿のよい
 滝ですが、今回は水がなく流れが見られなくて残念。


 少し森に入っただけで涼しく感じられて、マイナスイオン
 たっぷりの麻苧の滝でした。             6/10

麻苧(あさお)の滝は、一名朝日滝とも呼ばれ、その源を丁須の西の
中間峰より発している。信越本線横川駅の南西方に位置し、鼻曲山
と鳩胸の間を流れ落ち、その高さは約40メートル、この断崖から麻
の簾を垂らしたような飛瀑から「麻苧の滝」と名づけられている。
この滝は、古くから山岳信仰の修験場として知られ、山中には数多く
の石仏が散在している。信越本線や国道18号線からも近く、裏妙義
の奇岩との映りもよく、増水時などの雄大さは格別なものである。
(安中市ホームページより)

◆麻苧の滝

  


Posted by 風子 at 17:19Comments(2)*地域の名所

2016年06月19日

岩櫃城本丸跡と岩櫃神社♪

NHK大河ドラマ「真田丸」で脚光を浴びている岩櫃山は標高802m。
ハイキングコースとして人気があるそうですが、200mあるという絶壁
を眺めただけで恐れをなしてしまい・・・山頂までは難しそうなので、
とりあえず岩櫃城本丸跡まで行ってみることにしました。   4/6


 岩櫃城本丸跡の表示板を目当てに走り・・・ 


 平沢登山口駐車場に着くと、県内外からの車でほぼ満タンでした。
 

 観光案内所で資料をもらって、ボランティアの方の親切な説明を
 聴いてから本丸へ向かいます。
 

 左は岩櫃城本丸跡、右は岩櫃山方面。「熊出没注意!」の表示板
 もあります。


 杉木立に囲まれた坂をダラダラ上り・・・


 広場のような中城址へ出ました。


 丸太で階段状に整備された登坂道を上り、ほどなく
 南側が開けた場所で休憩。


 堀跡らしい地形も見られます。


 15分ほどで本丸跡に到着しました。本丸跡までは
 意外に近く、ほっと一息です。

岩櫃城は14世紀頃築かれ、吾妻郡の政治・軍事の中心でしたが、
伝説的な城主として吾妻太郎の名が知られています。
戦国時代には難攻不落とされた山城でしたが、真田幸隆(幸村の
祖父)の攻略により武田信玄の支配下に置かれ、久能城(静岡県)・
岩殿城(山梨県)と共に、武田氏の三名城のひとつと言われました。
武田氏没落後は真田氏の城となり、昌幸・信之(信幸)と真田三代に
よる上州攻略の拠点となりましたが、元和元年(1615)、徳川家康
一国一城令により廃城となりました。


 案内所まで戻り、向かい側に「岩櫃神社」の表示が
 あったので立ち寄ってみました。


 △かつての天狗丸、正面の木立が岩櫃神社。

 岩櫃城は真田一族の忍者の基地だったといわれ、忍者を諜報機
 関として養成するのに、この天狗丸あたりが鍛錬の場および活動
 の拠点だったとか。。。  (参考:JR東日本「小さな旅」)


 △観光協会パンフレットの地図

大河ドラマ「真田丸」には、真田家の家臣として寺島進さん好演の出浦昌相(いでうらまさすけ)が登場していますが、出浦盛清(昌相)は真田昌幸・真田信之に仕え、真田忍びを統率して活躍した人物で、岩櫃城では最後の城代を務めました。



 △岩櫃神社

岩櫃城は真田信繁(幸村)が少年時代を過ごしたといわれる城だ
ということにもロマンを感じ、また、小説『真田太平記』に登場する忍
者忍びの活躍に胸をおどらせたことが想い起こされて、なんとも愉し
いひと時でした^^。

◆岩櫃城跡

  


Posted by 風子 at 16:40Comments(2)真田街道めぐり

2016年06月13日

みなかみ町の名胡桃城址 ♪


 国道17号を水上方面に向かうと「名胡桃城址前」の
 信号がありますが、通る度に名胡桃(なぐるみ)という
 かわいらしい名称が気になっていました。


 △地域略図(拡大します)
 平安時代の書物によると、この一帯は「呉桃郡(くるみのこおり)と
 いわれ、その後もナグルミと呼ばれたのが城の名前の由来だそう
 です。


 信号脇には無料休憩所を兼ねた案内所・資料展示室があります。
 ドラマ「真田丸」人気で、多くの見学者が訪れているようです。
 

 △豊臣秀吉から真田昌幸に送られた書状
 貴重な文書や、三国街道に関する資料などが展示されています。

  信州、越後、会津を結ぶ交通の要衝であった沼田に近い軍事拠
 点・名胡桃城は戦国大名により争奪戦が繰り返されました。
  天正6年(1578)、甲斐の武田勝頼の命を受けた真田昌幸が吾
 妻・利根に進出、名胡桃城を拠点に対岸の明徳寺城を攻略、さら
 に沼田城を調略により手に入れました。
  その後も真田氏と北条氏による領地争いが続き、天正17年(15
 89)7月、豊臣秀吉はこれを裁定し、利根川を境に東部一帯(
 田
)を北条領、西(名胡桃)を真田領としました。
  ところが北条方の沼田城代猪俣邦憲が名胡桃城を攻撃し、奪取
 したことに激怒した秀吉は、天正15年(1587)に発布した「惣無事
 令
(そうぶじれい)=私闘の禁止」を北条氏が破ったとして討伐に乗
 り出し、天正18年(1590)小田原城攻めが行われ、北条氏が滅
 亡しました。ちいさな山城が戦国時代を終わらせ歴史を動かすきっ
 かけとなりましたが、名胡桃城はその後、廃城となりました。


 △名胡桃城址の模型
 名胡桃城は、武田勝頼の命を受けた真田昌幸が天正7年頃築いた
 城で、赤谷川が利根川に合流する地点の段丘上にある、自然の要
 害を利用した山城です。


 △名胡桃城址全体図 

 
 発掘により名胡桃城址の般若郭(はんにゃくるわ)に古い居館の
 址が明らかになり、掘っ建て柱による建物20ケ所が確認され、名
 胡桃氏(沼田景久の子 景冬が名胡桃氏を称した)の居館であっ
 たと推定されています。


 当時の遺構は馬出しや三日月堀、土塁跡などが
 確認されていますが、保存のため地下遺構は埋
 め戻されています。




 天守閣はなく、砦のような感じだったようです。


 名胡桃城址は大正12年に地元の有志で結成された保存会によっ
 て保存管理され、松や桜の樹木を植え、史跡公園として完成させ
 ました。


 △本郭中央にある「名胡桃城址之碑
 石碑の文字は徳富蘇峰によるもので、大正13年の建立。
 村中総出で運び建てたものだそうです。


 城址突端の「ささ郭」から月夜野が望めます。沼田城址はもっと
 右のようですが、確認はできませんでした。  3/11

◆名胡桃城址

  


Posted by 風子 at 12:26Comments(2)真田街道めぐり

2016年06月05日

深緑の頃 ♪


 △峠の湯
 関東もどうやら梅雨入りらしいけど・・・


 日ごとに木々が深緑になる季節です。


 白い花弁のように見えるのは葉っぱ


 ハナミズキのそっくりさんはヤマボウシです。
 

 池の畔には涼風と木陰がたっぷりありました。6/3
  


Posted by 風子 at 15:11Comments(2)日記

2016年06月02日

四万温泉の日向見薬師堂 ♪


 日向見薬師堂は、 四万温泉の温泉街の奥にあります。


 薬師堂の向かい側には、2006年にリニューアルオープンした無料
 の共同浴場御夢想の湯があります。 


 正面に見えるのはお籠堂(おこもりどう)


       △お籠堂                  △薬師堂

薬師堂】 国指定重要文化財 (明治45年2月8日指定)
寄棟造、屋根は茅葺で間口3間・奥行き3間。
棟札によると、慶長3年(1598)伊勢国鹿目喜左衛門藤原家貞が、
真田信幸(信之)の武運長久を祈願して建てたものです。
堂内の厨子は天文6年(1537)に造られたものです。
この建物は重要文化財に指定されている県内唯一の寺院建築
あり、現存の寺院建築として県内最古のものです。 
薬師堂はお籠堂(おこもりどう)とともに、温泉と結びついた薬師信仰
を物語る建物としても貴重なものです。(案内板より)

お籠堂】 町指定重要文化財
薬師堂の前にあるお籠堂は、慶長19(1614)に建てられたものである。(明治22年 四万村誌による)
間口約4.79m、奥行き約3.66mで中央に幅約1.01mの通路がある。
現在はガラス戸だが、はじめは戸や障子などの仕切りもなく開放され
たものであった。
このお籠堂には、湯治客(温泉に入って療養する人)が病気を治す
ために定められた日数、一昼夜・七日・百日などの期間、心身を清め
お籠堂に閉じこもり、お経を読んだり、唱えたり、断食や水垢離(みず
ごり)などの荒行をすることもあったという。
昭和60年(1985)に解体修理された。
建築年代と、構造上中央を通路にしたものは数少なく、貴重な建物
である。(案内板より)


 △薬師堂
 四万温泉発祥のお告げをもたらした神様であり、すべての人を
 病気の苦しみから救ってくれるという「薬師瑠璃光如来」を祀って
 います。


 △堂内


 お籠堂は中央に通路があります。



池波正太郎の『真田太平記』や『獅子』で信之ファンになって以来、
ぜひ訪れたいと思っていましたが、いにしえの雰囲気が漂う薬師堂
をお参りし、清々しい気持ちになれました。      2016.4.6

◆日向見薬師堂

  


Posted by 風子 at 11:35Comments(2)真田街道めぐり

2016年05月24日

中之条町の林昌寺♪

 NHK大河ドラマ「真田丸」人気で、真田街道に沿った史跡には多くの観光客が訪れているようです。
 戦国の世、真田氏は信濃国上田を拠点とし、上野国へ勢力を広げました。上田から鳥居峠までは「上州街道」、鳥居峠から群馬県内を東に向かう道を「長野街道」と呼び、それらの道は通称「真田街道」とか「真田道」と呼ばれています。
 何年かぶりに出掛けた四万温泉への道すがら、まだ行っていない真田氏ゆかり地をピックアップして訪れてみました。2016/4/6


 △曹洞宗宝満山林昌寺

 平安時代の創建。戦国時代に荒廃しましたが、真田幸隆の弟(真田昌幸の叔父)矢沢頼綱により再建されました。領主・真田昌幸より六連銭(六文銭)の寺紋と改修資金をを与えられ、以後、信之・信吉・信政など真田家の庇護を受け、寺勢を伸ばしました。(案内板より)
 頼綱は百戦錬磨の武将であったと伝えられています。


 元文年間建立の立派な山門にも


 本堂屋根にも、六連銭。。。


 △身代わり地蔵菩薩

 矢沢頼綱は上和泉の合戦の折、敗走の背に敵兵から矢を受けましたが、1人の若武者が身代わりとなって救いました。その後、頼綱の夢枕に地蔵菩薩が顕れ、身代わりになったのは菩薩だったことを告げました。頼綱は隠居すると堂宇を再建し、地蔵菩薩像を祀り戦没者の供養と追想に暮れたと伝えられています。(案内板より)


 △シダレザクラの古木は町指定天然記念物
 (幹囲4メートル、樹高20メートル、樹齢は不明)
 

 町を歩くと、地元の人が「シダレザクラを見た?」と声をかけてくれたり、道案内をしてくれたり・・・旅人にやさしい中之条町です。


 前日はあいにくの曇天。青空を背景に満開の
 シダレザクラを見ようと、翌日も立ち寄りました。


 評判通りの見事なシダレザクラでした。
 平成12年に亡くなった小渕元首相が眠る林昌寺です。 
 
◆林昌寺 
 群馬県吾妻郡中之条町大字伊勢町1002

  


Posted by 風子 at 20:06Comments(2)真田街道めぐり

2016年05月16日

老神温泉の風景♪

 上毛新聞の「大蛇みこし練り歩く」という記事を見て、
 3月に老神温泉街を散策中、大蛇みこしの展示に遭遇
 したことを思い出しました。


 夜間の冷え込みが厳しい老神温泉です。 3/10


 朝食後に片品川の渓谷沿いに散歩道を行くと、周囲の山頂は
 きれいに薄化粧をほどこされていました。。。
 

 △赤城神社 

 以前日帰り温泉に立ち寄ったとき気になっていた
 温泉街にある神社です。
 ここから大蛇みこしがスタートするようです。
 境内に薬師堂があり、湯禅薬師が祀られています。


 利根観光会館の敷地に、なにやら怪しげな緑色の長ーい物体!?
 ギネス世界記録に認定された世界一長い(108.22m)大蛇みこし
 の展示です。
 ニョロニョロさんは大の苦手なので、以前から巨大な蛇みこしは
 見たくない!と思っていましたがicon10・・・
 いやだいやだと思うと、よけい出合ってしまうものです^^; 



 その昔、蛇に化けた赤城山の神とムカデに化けた日光男体山
 (二荒山)の神が、今の戦場ケ原で領地争いをして激しく戦い
 ました。
 傷を負った赤城の神が老神の地に戻り、矢を抜き地面に差すと
 温泉が湧き、その温泉に浸かった蛇は傷が治り、ムカデを追い
 やりました。
 その「追い神」が「老神温泉」の名の由来とされ、傷に効果が
 あるといわれる由縁だそうです。
 老神温泉の開祖である蛇は、赤城の人々にとって「守り神」と
 して信仰され、蛇への感謝を込めて例年「大蛇まつり」が開催
 されているそうです。(解説板より)



 展示場を恐る恐るのぞくと・・・怖いというより
 愛嬌のある大蛇と、少し小さい蛇がいました。
 昼はかわいい子供蛇みこし、夜は大蛇の本
 みこしが練り歩き、温泉街が活気に溢れるそうです。
 蛇は金運を呼ぶともいわれているので、ちょっと
 期待してみました^^。


 利根観光会館では、3月中「老神温泉ひなまつり」が開催され


 人形製作に約380年の歴史がある鴻巣市から寄贈された、新旧
 とりどりのひな人形が、巨大なひな壇に飾られていました。

◆老神温泉「大蛇まつりと大蛇のご紹介」
 http://kankou.sakura.ne.jp/oigami/daijya/
  


Posted by 風子 at 16:47Comments(2)ミニ旅行

2016年05月11日

アイリスの丘2016 ♪

 今年の安政遠足マラソンは、都合により出かけることが
 できなくて残念でした。


 前回アイリスの丘を訪れてから
 なんと、5年もの月日が流れています。  5/10


 園内のアイリスは、希望すればその場で掘ってもらい
 買い求めることができるようです。 


 小さな花もいきいきとして・・・・・・。 


 赤いのは「ピエロ」という
 なんとなく哀しい名前のポピーです。  
 

  「ここは花の種類が多いですね」と話す


 関東各地の花を追いかけている婦人に逢いました。
 

 さわやかな風も吹き抜けて・・・


 こどもの頃に読んだ、バーネットの童話 


 『秘密の花園』を思い出しました。
  

 雨のあとの澄み切った空気の中で 


 花々に囲まれて、幸せなひと時を過ごしました。 

◆花々の楽園 アイリスの丘ホームページ
 http://www.iris-no-oka.jp/
  


Posted by 風子 at 17:05Comments(2)* 季節の花

2016年05月02日

板鼻宿ウォーキング♪


 板鼻公民館と板鼻史跡保存会共催の、ふれあい学級①板鼻歴
 史
再発見その弐「板鼻宿と彫刻の長伝寺」歴史ウォーク には
 約50人が参加しました。  4/25


 3班に分かれ、安中市観光ボランティアガイドの会の方の先導で、
 まずは公民館敷地内の和宮資料館を見学。


 安中市出身の日本画家・真田重吉さん(1923~2012)が中山道を
 実際に歩き、地元の古老や郷土史家の話や文献を参考に41枚の
 日本画に描き残した「中山道上州七宿画」は見応えがあります。


 春の日差しの中 碓氷川サイクリングロードを歩き、渡し場跡と上杉
 家敷地内の荒木寅三郎顕彰碑を見ました。


 ガイドさんによると、宿場が賑わった頃からの豊かな流れの板鼻堰
 は、板鼻宿 撮影スポットの一番人気なのだそうです。


 八坂神社の道祖神を見てから、荒木寅三郎の碑が
 ある寅三郎の生家である茂木家に向かいます。。。


 蔵の2階部分を改装して、荒木寅三郎が両親や多くの友人と
 交わした貴重な書や書簡などが展示されています。
 

 現当主の茂木猛男さんが、古文書を学び多くの書簡を解読・整理
 し、荒木寅三郎書展示館を造りました。
 その奮闘努力に拍手です。
   

 △茂木猛男さん
 
 上野国板鼻宿の医師・荒木保爾の次男が寅三郎で、
 三男・猛四郎(祖父の実家茂木家を継いだ)が現当主
 のおじいさんだそうです。
 ※連絡すれば見学可 (027-382-0666 茂木さんまで)


 次に、茂木家のすぐ裏手の長伝寺に行き・・・
 


 荘厳な本堂で、総見住職に解説していただきました。 
 欄間の彫刻は全部で14枚で、1枚が3両したとか。
 碓氷川の川止めで賑わった、板鼻宿の檀家が裕
 福だったことが想像できます。
 

 長伝寺は、およそ450年前(天文年間中期)に、安中市後閑の
 長源寺の九世為景春和和尚が八幡宮(高崎市)境内に開基し、
 後に板鼻に移転再建されました。3度の火災に遭いましたが、嘉
 永6年(1853)に再建開始、15年後の慶応4年(1868)に完成しま
 した。


 およそ江戸中期の作と伝わる厨子(ずし)は、左右の扉に五百
 羅漢が彫られた珍しいものです。(パンフレットより借用)


 ゛彫刻の寺″の名称にふさわしい芸術的な木造装飾彫刻は、日光
 を造営した彫物師の流れをくむ工匠が、十数年かけて完成させた
 ものだそうです。
 長伝寺の見学願望がようやく叶い、板鼻の歴史・史跡の再発見
 ができた、楽しい板鼻宿ウォーキングでした^^。

◆八幡山龍雲院長伝寺(曹洞宗)
 安中市板鼻2-5-21  027-381-2187


  


Posted by 風子 at 11:16Comments(2)*祭・イベント