2015年11月08日
安中文化会の講演会「新島襄先生の詩歌に学ぶ」♪
11月7日に『新島襄先生の詩歌に学ぶ』~少年期から永眠まで
~と題した、創立50周年を迎えた安中文化会主催の記念講演会
が安中市文化センター3階大会議室でありました。

講師は安中市文化財調査委員である淡路博和先生で、テーマは

「新島襄の激動の生涯を遺された詩歌から読み解く」です。

群馬に移住してから「上毛かるた」の存在を知り、平和の使い 新
島襄を覚えましたが、その生涯を学ぶほどに〝郷土の誇り″という
思いが強くなります。
安中藩士として生まれ、漢文・蘭学を学び、後に英文に触れた新
島襄は、生涯に46の漢詩、32の短歌、11の俳句を遺しています。

詳細な年譜を見ながら、襄の知られざるエピソードと折々に作ら
れた詩歌の心を学ぶことができました。
残念ながら46歳で早世した新島襄ですが、襄が蒔いた種はその
後日本各地で教育に携わった人々の心に育ち、開花しました。
ちなみに人気の朝ドラ「あさが来た」の原案本「小説 土佐堀川
広岡朝子の生涯」に登場する麻生正蔵もその一人で、同志社英
学校で新島襄に学び、男女平等を説き、成瀬仁蔵と共に日本女
子大学校(日本女子大学)設立に尽力し、後に学長となりました。
◆新島襄の漢詩 「寒梅」
庭上一寒梅 (ていじょうの いちかんばい)
笑侵風雪開 (わろうて ふうせつをおかして ひらく)
不争又不力 (あらそわず また つとめず)
自占百花魁 (おのずからしむ ひゃっかのさきがけ)
1889年12月、療養先である大磯の百足屋(むかでや)旅館での作。
【庭にある寒梅の木は、冷たい風や雪をものともせず花を咲かせ
る。争わず、力づくでもなく、真っ先に花を咲かせることを自分の役
割としているのだ】と、どんな事があっても信念をもって生きる大切
さを伝えているのでしょう。 (安中市教育委員会の冊子より引用)
~と題した、創立50周年を迎えた安中文化会主催の記念講演会
が安中市文化センター3階大会議室でありました。

講師は安中市文化財調査委員である淡路博和先生で、テーマは

「新島襄の激動の生涯を遺された詩歌から読み解く」です。

群馬に移住してから「上毛かるた」の存在を知り、平和の使い 新
島襄を覚えましたが、その生涯を学ぶほどに〝郷土の誇り″という
思いが強くなります。
安中藩士として生まれ、漢文・蘭学を学び、後に英文に触れた新
島襄は、生涯に46の漢詩、32の短歌、11の俳句を遺しています。

詳細な年譜を見ながら、襄の知られざるエピソードと折々に作ら
れた詩歌の心を学ぶことができました。
残念ながら46歳で早世した新島襄ですが、襄が蒔いた種はその
後日本各地で教育に携わった人々の心に育ち、開花しました。
ちなみに人気の朝ドラ「あさが来た」の原案本「小説 土佐堀川
広岡朝子の生涯」に登場する麻生正蔵もその一人で、同志社英
学校で新島襄に学び、男女平等を説き、成瀬仁蔵と共に日本女
子大学校(日本女子大学)設立に尽力し、後に学長となりました。
◆新島襄の漢詩 「寒梅」
庭上一寒梅 (ていじょうの いちかんばい)
笑侵風雪開 (わろうて ふうせつをおかして ひらく)
不争又不力 (あらそわず また つとめず)
自占百花魁 (おのずからしむ ひゃっかのさきがけ)
1889年12月、療養先である大磯の百足屋(むかでや)旅館での作。
【庭にある寒梅の木は、冷たい風や雪をものともせず花を咲かせ
る。争わず、力づくでもなく、真っ先に花を咲かせることを自分の役
割としているのだ】と、どんな事があっても信念をもって生きる大切
さを伝えているのでしょう。 (安中市教育委員会の冊子より引用)
Posted by 風子 at 10:34│Comments(2)
│■歴史講座
この記事へのコメント
ほ~、新島襄は「あさが来た」とも関連があるんですね。
それにしても、すごい数の参加者ですね。
びっくりぽん!
それにしても、すごい数の参加者ですね。
びっくりぽん!
Posted by 迷道院高崎
at 2015年11月08日 16:08

>迷道院高崎 さま
麻生正蔵がドラマに登場するかどうかはわかりませんが、
新島襄と関係があったことは確かです。
写真撮影のために最後列に行ってみて、参加人数の多さに
「ギョギョッ!」と言いそうになりました^^。
麻生正蔵がドラマに登場するかどうかはわかりませんが、
新島襄と関係があったことは確かです。
写真撮影のために最後列に行ってみて、参加人数の多さに
「ギョギョッ!」と言いそうになりました^^。
Posted by 風子
at 2015年11月08日 19:36
