群馬で出会った自然や季節の花、文化遺産、つぶやきなどを写真で綴ります。
< 2017年10月 >
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
Information

2015年09月25日

安中の芭蕉句碑♪

芭蕉は一度も上州に来ていないという定説があるらしいのですが、
『更科紀行』のルートによると、芭蕉は貞享5年(1688年/芭蕉45歳)
8月に、信濃国更科で姨捨山の名月を眺めたのち善光寺に参拝し、
中山道・碓氷峠を経て江戸へ帰っています。
ということで、滞在はしていませんが上州路を通ったことは間違い
ないようです。
 参考サイト:「芭蕉と伊賀」 http://www.ict.ne.jp/


△旧中山道にある芭蕉句碑 (安中市指定重要文化財)   
    安中市松井田町坂本

  ひとつ脱てうしろに負ひぬ衣かへ
        貞享5年(1688)の作  『 笈の小文』にある句 

元は寛政2(1790)年に刎石山中腹の「覗き」に建立されましたが、
中山道が廃道となったために現在地に移転されました。坂本宿の
俳人連グループ「竹睡庵連」の建立によるもので、選句、筆者は初
代春秋庵白雄です。この句碑は当時の宿駅文化の盛況さを偲ぶ
良き資料の一つです。 (引用:安中市HP 「安中市の文化財」)


 他にも安中市に残る芭蕉句碑があるらしいのですが、まずは
 原市の城山稲荷神社へ探しに出かけました。


 △原市のスーパー駐車場

 敷地の南端には旧碓氷社本社事務所があります。
 駐車場から5分ほど歩くと、いかにも神社の杜らしき木立
 が見え・・・近づいてみると、なんと「簗瀬城址」の看板が!


 以前から気になっていた簗瀬城址(16世紀/戦国時
 代 別称/原市城・稲荷城)はここだったのです。

 安中氏の出張城であったと伝えられ
  「城山」と称す。 『安中志』によれば
 建治元年(1275)4月の頃に安中氏
 の祖、二位中納言惟基が築城し、応
 永6年(1399)三四世の後の重国の時に越後国へ移った
 とする。 (咲前神社ホームページより引用)


 △看板の右手には堀あと らしい通路もあります。


 後日 南側の橋から見ると、簗瀬城は碓氷川を望む
 断崖上にあったことが確認できました。
 ※マンションの左側が稲荷神社。
 

 石垣に沿ってぐるりと回ってから


 正面石段を上って境内へ


 △城山稲荷神社
 

 △ちょいと怖い表情の狐さん


 △芭蕉句碑                    9/11
 境内の左手に、高さ2mほどの立派な芭蕉句碑
 ありました。
 背面と側面にはびっしりと寄進した人の名が刻まれて
 いますが、残念ながら建立年月が見当たりません。
 
  此のあたり 眼に見ゆるもの 皆すゝし
      貞享5年(1688) 旅の帰路、岐阜で詠んだ句

 現代は俳句ですが江戸時代には俳諧と呼ばれ、芭蕉の
 活躍などにより作句は広く庶民の間で流行しました。
 
 全国に松尾芭蕉の句碑は3200基ほどあるそうですが、
 群馬県は220基で全国第2位!
 第1位は長野県で319基。(数字は諸説あるようです)
 芭蕉句碑は都市部のみならず、地方にも広く分布して
 います。

 江戸時代中期から後期にかけて、養蚕を中心とした産業が
 盛んだった上州は、関東有数の俳諧王国だったと言われて
 います。

 当時地方では芭蕉を敬慕する門人達が師の訪問を待ち構え
 ていて、訪問先では句会が催され、盛大なもてなしを受けた
 そうです。

 芭蕉は上州に滞在したことがないのにこんなに沢山の句碑
 が残されていることから、いかに庶民の間で俳諧が浸透し、
 芭蕉の到来を待ち焦がれた人々がいたか・・・を想像してし
 まいます^^。

   ≫≫続きはこちら

 <参考>
 ◆伊藤洋のページ
 http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/itoyo.html
 ◆蝶と里山の浪漫紀行
 http://tyokyojin.sakura.ne.jp/romankiko.html
 
 ◆『石に刻まれた芭蕉』 弘中孝 著

 ◆城山稲荷神社




同じカテゴリー(■ 文化遺産めぐり)の記事画像
続・安中は井伊家ゆかりの地 北野寺と威徳神社♪
安中は井伊家ゆかりの地♪
塩原太助の玉垣と石燈籠♪
安中の簗瀬二子塚古墳♪
中之条町の市城砦 ♪
下里見町の「ぴんころ地蔵尊」♪
同じカテゴリー(■ 文化遺産めぐり)の記事
 続・安中は井伊家ゆかりの地 北野寺と威徳神社♪ (2017-08-23 11:15)
 安中は井伊家ゆかりの地♪ (2017-07-22 15:38)
 塩原太助の玉垣と石燈籠♪ (2017-07-05 15:44)
 安中の簗瀬二子塚古墳♪ (2017-01-25 16:00)
 中之条町の市城砦 ♪ (2016-08-25 17:17)
 下里見町の「ぴんころ地蔵尊」♪ (2016-08-17 16:35)

この記事へのコメント
芭蕉句碑って、ずいぶんあるんですね。
それだけ俳句愛好者やそれを指導する師匠もいた訳ですよね。
昔の人は、知的好奇心旺盛だったってことでしょうか。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎 at 2015年09月25日 22:03
>迷道院高崎さま

調べてみると芭蕉句碑の多さに驚きました。
江戸時代は寺子屋も多かったので庶民の識字率も高く、
元は貴族階級のものであった和歌の流れを、大衆文化に
変えてしまうという庶民のパワーを感じます^^。
Posted by 風子風子 at 2015年09月26日 08:37
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
安中の芭蕉句碑♪
    コメント(2)