群馬で出会った自然や季節の花、文化遺産、つぶやきなどを写真で綴ります。
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2014年01月27日

迷道院高崎さんの講演と清水寺の田村堂 ♪

  
 1月22日に高崎市八幡公民館で迷道院高崎さん講演があり、市外者なので許可をいただいて参加しました。
 綿密に準備された資料とパワーポイントを駆使したプレゼンテーションは説得力があり、ブログとはひと味違う、高崎の隠れた歴史をわかりやすく解説していただく講演で、あっという間の2時間でした。
 項目のひとつ 、高崎清水寺(せいすいじ)の千手観音に関するお話を聞いているうちに、昨年読んだ本を思い出しました。

 国定忠治には三人の女性がいたそうですが、その一人、菊池徳は「女国定」と呼ばれるほど男優りで侠気ある女性だったようです。
 幕府はお上に対し徹底して逆らった忠治を、関所破りをした大戸関所で見せしめのため公開の磔(はりつけ)にしようとしましたが、その時、徳は歌舞伎役者のようないでたちを用意して、死出の旅に出る忠治に一世一代の華々しい最期を演じさせたのだそうです。最後までかっこいいヒーローでいて欲しかったのでしょう。

  徳の弟は田村仙学といい、忠治が大戸で
 磔刑に処せられた嘉永3年(1850)12月21日
 の9日後に、26歳で高崎清水寺の住職となり
 ました。 (清水寺観音堂 2010.7.1 撮影)
 元治元年(1864)3月27日筑波山に挙兵し、京都に向かって進軍していた水戸天狗党を600人の兵士で迎え撃つすることになった高崎藩士でしたが、後に下仁田戦争と名付けられた戦いで敗北し、死屍累々の惨状は言語に絶するものでした。
 その戦場に藩士の家族関係者ともども真っ先に駆け付け、戦死者の遺体を捜し弔ったのが田村仙学でした。そして、自らが住職を務める清水寺境内にお堂を建て、戦死者の木像を刻んで供養しました。

 
  △田村堂
 それが観音堂右手の田村堂で、堂内には下仁田において水戸天狗党と戦って戦死した高崎藩士36人の戦闘姿の木像が安置されていますが、その内訳は藩士31名と医師、町人など戦に駆り出された5名なのだそうです。



 
   
 お堂を建てた仙学の本意は、たまたま戦に駆り出され命を落と
した者の肖像を後世に残すことにあったといいます。
 仙学にも姉 徳に似た弱きを助ける仁侠の心映えを感じる、エピ
ソードです。

  引用:高橋敏 『国定忠治を男にした女侠』  
  参考書籍:中村明 『八州廻りと上州の無宿・博徒』



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この記事へのコメント
気恥かしい気分ですが、ご紹介とリンクありがとうございました(^_^)
講演の中では触れませんでしたが、田村堂と田村仙岳のことも、いろいろと興味深いですよね。
子どもの時、田村堂に入るのは何となく怖かったことを思い出します。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎 at 2014年01月28日 17:47
とても濃い内容の講演を拝聴させていただき、
ありがとうございました。
できれば、より多くの方に聴いていただきたいと
思いました。

田村堂の写真は2010年に撮ったものですが、
今頃になって役立つとは夢にも思いませんでした。
ブログ記事熟成に時間がかかりましたが、迷道院さんの
講演のお陰で、インスピレーションを得ることができました^^。
Posted by 風子風子 at 2014年01月28日 20:13
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迷道院高崎さんの講演と清水寺の田村堂 ♪
    コメント(2)