群馬で出会った自然や季節の花、文化遺産、つぶやきなどを写真で綴ります。
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2014年01月24日

安中の明君 板倉勝明 ♪

学習の森 第13回企画展関連講演会
第3回は淡路博和先生の
「文教の町安中の礎 - 明君 板倉勝明 - 」というお話でした。(1/19)

板倉勝明(かつあきら)は文化6年(1809)11月、藩主 板倉勝尚(かつなお)と側室 多加の子として江戸佐久間町の板倉屋敷で生まれました。
 母 多加については、文書に「言葉少なく誠実で、家臣を大切に思う人・・・」と記さていることから、勝明侯がその母の血を受け継ぎ、領民を救済するためのシステムをつくった藩主であるということが納得できます。
 体が弱いため誕生後2年間、幕府への出生届を保留していたそうですが、文政3年(1820)父の死去により、12歳で家督を継ぎ、安中3万石の大名となりました。勝明は幼い時から賢く、学問を好み、成人してからは高名な師に学び、儒学者と交わり、歴史研究に励みました。人柄は心暖かく寛容で、下位の者に対しても優しかったと伝えられています。
 30代後半から体調をくずし、安政4年(1857)4月に48歳で逝去。墓地は愛知県西尾市の板倉一門の菩提寺・長円寺にあります。

■「甘雨亭叢書(かんうていそうしょ)」の編纂と発行
 甘雨は勝明の号。甘雨亭叢書は江戸時代初期からの学者・思想家の著述でまだ出版されていないものを、勝明侯が探し求めて刊行したものです。その原版(印刷用の版木)が1166枚現存し、印刷されたものは1集を8冊とし全10集の予定でしたが、勝明侯の死去のため第6集までとなっています。【安中市指定重要文化財】
 画像はこちらに↓
 http://bberry1.blog.fc2.com/blog-entry-150.html

■貧しい農民の救済

漆園之記(しつえんのき) 
 ・・・新島家旧宅北側
 「上州の土地は桑や漆(うるし)に適して
 いるが、人民は漆の利益が桑の倍あるこ
 とを知らない。
藩内に漆をおよそ100万株植え、村の長老達に約束した。一分は土地の所有者へ。一分は費用に、一分は税として納め、一分は藩領内の貧しい人々に与えることを決め、後々までそれを守らなければならない。」(意訳)
 勝明侯は漆の収益の4分の1は窮民に与えることを決めましたが、実際には漆の栽培は難しかったようです。

■有能な青年の教育 
 蘭学や西洋砲術を学ばせた青年の中に新島七五三太(しめた)後の新島襄がいました。襄はアメリカの恩人への手紙に、「勝明は中国の古典に精通し、国内では藩主たちのうちの最も傑出した学者として有名でした・・・。」と書いています。

■遠足(とおあし)の実施

「日本マラソン発祥の地安中」
 「安政二年(一八五五)ときの安中藩主
 板倉勝明公は藩士の心身鍛錬を目的と
 して五十才以下の藩士九十八名を数隊
 に分け 五月中旬より六月初旬にかけ安中城内より碓氷峠の熊野権現まで七里余の中山道を走らせた。これを『安中御城内御諸士御遠足』という。これは日本におけるマラソンのはじめである。」 (安中市文化センター)

■郷学校(ごうがっこう)の創設


  △桃渓書院の扁額(湯浅治郎が木版に刻したもの)
  勝明侯の命により、安政2年、五料村の桃木沢に郷学校「桃渓
 書院」
が創設され、地域の俊英が6年間学習し、女性も学びまし
 たが、明治5年の新制度発布により閉鎖され、残念ながら建物は
 残されていません。

■種痘の実施
 種痘は1796年(寛政8)にイギリスの医師エドワード・ジェンナーが
発明し、1849年(嘉永2年)に牛痘苗による種痘に初めて成功しましたが、その翌年には早くも安中で実施され、神田お玉ヶ池に種痘所が開設された安政5年(1858)より2年前の安政3年4月からは、安中藩領の村々すべてで実施されました。これは群馬県内の諸藩の中では最初でした。村方文書の「種痘日記」には、いつどこの村で何人の子供に接種したか等の詳細が記されています。
 種痘は藩主の思いつきや興味で実施したものではなく、事前に用意周到な調査がなされていたそうです。淡路先生が作成された資料には「まさに板倉勝明の明君たる所以であって、私たち安中市民は、このことを安中の大いなる誇りとなすべきであろう。」と書かれています。一般的には「名君」と付けられますが、先見の明があった藩主であることから、タイトルを「明君」とされたのだそうです。

  参考:資料「文教の町安中の礎 明君板倉勝明」
      「安中ふるさと人物辞典」
      「安中の文化財」

第13回企画展 「我が郷土の文学者」開催中!  
   --2014年2月3日(月)まで--  
  江戸時代から現代まで、安中市は数多くの文人・詩人・作家
  を輩出しています。
  また、多くの文学者が妙義山・碓氷峠に魅せられ、磯部・霧積
  温泉で静養し、文学作品の中に安中市の風景を残しました。
  湯浅半月・磯貝雲峰・大手拓治・白石実三・・・。
 安中市学習の森 ふるさと学習館(歴史博物館)
   安中市上間仁田951
   TEL:027-382-7622
   ○開館時間:9時~17時   ○観覧料:100円 
   ○休館日:毎週火曜日 
     


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この記事へのコメント
へーっ!
たしかに「明君」ですね。
淡路先生の「安中の大いなる誇りとなすべきであろう。」というお言葉に、納得です。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎 at 2014年01月24日 09:45
>迷道院高崎さま

私も最初は、なぜ「名君」ではないのだろうと
不思議に思いましたが、お話を聞くにつれ
納得いたしました。
種痘については、世間一般には知られていない
ことなのでぜひ皆さんに知ってまらいたいと思い、
書かせていただきました。
Posted by 風子風子 at 2014年01月24日 10:47
拙話を紹介していただき感謝。江戸時代末期という暗い封建の世の中にあって一点の光明を灯してくれた君主ということで「明君」といたしました。
Posted by 古史庵淡伯 at 2014年01月30日 11:02
>古史庵淡伯 さま

コメントをいただき、ありがとうございます。

安中の誇りである板倉勝明侯を研究されてきた先生の
資料を引用させていただきましたが、ようやく勝明侯の
偉業の一端を拙ブログで紹介できたことを、嬉しく思って
おります。
Posted by 風子風子 at 2014年01月30日 13:05
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安中の明君 板倉勝明 ♪
    コメント(4)