2014年01月11日
八幡八幡宮参道の大ケヤキ ♪

八幡大門通りの大鳥居を通過して
参道を八幡様に向かうと、
何度も通っているのに
なぜ気付かなかったのでしょう…
道路の左側に大木が見えました。

近づいてみると、狭い場所でかなり傾いた状態ですが

太い幹が洞(うろ)になっていて、胴回りは5~6mはありそうな大ケ
ヤキです。裏手には堰の流れがあり、解説板は見当たりません。
あとで調べると、八幡宮より南へ1キロにあったケヤキ並木の最後
の1本で、空洞化して皮だけで生きている長寿ケヤキだということ
がわかりました。

大ケヤキの先の道祖神や石塔、祠が並ぶ風景は見慣れていて

立派な御神燈が目立ちますが、近づいて見ると「燈」の
文字がなぜか金偏(かねへん)です。

これもあとでわかったのですが、その昔、源義家が奥州
征伐の折、八幡宮に祈願の燈明を上げようとしたところ
燭台が見当たらず、馬の鐙(あぶみ)を使ったことから
御神鐙となったのだそうです。
参考: 「八幡めぐり」/八幡地区まちづくり実行委員会発行

参道を行くと、建立1057年の歴史ある八幡八幡宮に到着します。
Posted by 風子 at 16:45│Comments(2)
│■ 文化遺産めぐり
この記事へのコメント
豊岡、八幡地区には、とにかく源伝説が多く残っていますね。
とても面白いし、大切に語り継いでいきたいものです。
散歩は楽しいですね。
とても面白いし、大切に語り継いでいきたいものです。
散歩は楽しいですね。
Posted by 迷道院高崎
at 2014年01月11日 21:22

>迷道院高崎さま
そーですね、大鳥居の額も源義経主従が奥州に向かう
とき弁慶が書いた…ということを迷道院さんのブログで
読ませて頂きました。
年末に資料の整理をしていましたら、たまたま八幡八幡宮に
関する資料が出てきたことがラッキーでした^^。
そーですね、大鳥居の額も源義経主従が奥州に向かう
とき弁慶が書いた…ということを迷道院さんのブログで
読ませて頂きました。
年末に資料の整理をしていましたら、たまたま八幡八幡宮に
関する資料が出てきたことがラッキーでした^^。
Posted by 風子
at 2014年01月12日 10:22
