群馬で出会った自然や季節の花、文化遺産、つぶやきなどを写真で綴ります。
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2013年06月21日

大戸の大運寺/加部安の墓 ♪


 △浄土宗鎮西派華庭山大運寺              (5/8)
 県道58号線の大戸信号を北に向かうと左側に大運寺があります。
 本尊は阿弥陀仏(吾妻町重要文化財)
 

 △大運寺山門   山門脇にはダレザクラの大木icon12

 大運寺は天正年間に大戸村寺原から現在地に移り、開山より650
 年以上が経ちます。大戸の繁栄により檀徒も多く、大戸出身の富
 豪加部安左衛門(通称:加部安)の寄進により荘厳な寺観を誇っ
 ていたようですが、当時の本堂と庫裡は平成2年2月の火災によっ
 て焼失してしまいました。現在の本堂は平成6年に再建されたも
 のです。(案内板より)

 
  △加部弌法翁昭先碑    △加部喜翁墓表
  
 サクラの大木の下には加部弌法(7代 重実)翁の一代を記した
 碑と喜翁(8代 光重)の頌徳碑があり、加部一族の栄華を伝え
 ていますが、文字はかなり読みにくい状態でした。


 古文書の解読で知った加部安左衛門を偲び、訪ねた大運寺です。

 
 △本堂


 △加部家代々の墓(初代から15代まで)

 吾妻郡大戸村の豪商加部安左衛門兼重(10代)はその財力を
見込まれ、天保4年(1833)幕府(老中水野出羽守忠成)の申し渡しにより、上野国碓氷郡の川浦山(幕府直轄御林御巣鷹山、後の群馬郡倉渕村川浦、現高崎市倉渕町)の幕府御用材伐出し事業の現地差指として、水沼村の富豪星野七郎右衛門長兵衛(9代)は経理として、両名の全責任で請負いました。
 文政12年(1829)生まれの加部嘉重(12代)は安政6年(1859)の
横浜開港に伴って、幕府の指名により横浜弁天通へ大店舗を構え、
生糸・麻・呉服・茶・雑貨等を外国人へ売り込み、大きな利益を上げ
ましたが、経営を使用人に任せたため経営不振となり、事業から撤
退し、横浜の店舗を閉めて郷里の大戸へ戻りました。
 子孫は東京に在住しているようです。

 ◆大運寺  群馬県吾妻郡東吾妻町大字大戸371
  


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