群馬で出会った自然や季節の花、文化遺産、つぶやきなどを写真で綴ります。
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2012年12月03日

下仁田・歴史さんぽ(1) ♪

きょうは「乍恐(おそれながら)会」という古文書学習会主催の
下仁田歴史民俗資料館の見学とランチ♪です。


 安中公民館前に集合しましたが、今にも雨が降りだしそうな空模
 様と寒さでブルブル。。。が、月曜日なので資料館は休館icon10とい
 うことで


 下仁田町の「下仁田戦争関連史跡」に関して、造詣が深い方に
 案内して頂けることになりました。
 明治維新の4年前・元治元年(1864年)、尊王攘夷運動の過激
 派水戸の天狗党が900余人の部隊を組み、一橋慶喜のいる京
 都へ向かって行軍中、上州下仁田で幕命により追撃してきた高
 崎藩軍と戦争になった
という下仁田戦争に関して勉強不足だっ
 たので、これは学べるチャンスです。(^^v


 △下仁田戦争跡の説明板(拡大します)


 △高崎藩士戦死之碑
  明治26年11月16日下仁田戦争30周年を記念して、
  最大の激戦地となったこの「岩下」に、勝海舟の
  書により建立されました。
 

 碑の左側には島崎藤村の詩碑があり  ↑
 「千曲川旅情の歌」の一節「過し世を志津かにおもへ 
 百年もきのふのごとし」と刻まれています。
 藤村は『夜明け前』執筆のため、下仁田戦争跡の取
 材で下仁田に宿泊したことがあるようです。


 碑の奥にある急な階段を登ると・・・


 ふるさとセンター(歴史民俗資料館)があり


 高台から見下ろすと、高崎藩本陣里見家の土蔵が
 見えます。
 高崎藩は小坂村名主里見治兵衛宅前に陣を構えたが、
 水戸天狗党の三面奇襲を受ける。蔵には当時の弾痕が
 残る。(下仁田町ホームページより)



 戦いのとき、高台から撃った弾痕が壁にそのまま残されている
 ということですが


 うーん、どれが弾痕なの?

 ≫≫続きはこちら

 ◆下仁田町ふるさとセンター(歴史民俗資料館)




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