群馬で出会った自然や季節の花、文化遺産、つぶやきなどを写真で綴ります。
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2012年10月06日

新島八重さんにまつわる悲話 ♪

安中市立図書館講座「新島八重子婦人と安中」を受講しました。
講師は淡路博和先生です。



 先日も「古文書の話ならいくらでもできるけど、専門ではないか
 らねぇ」とおっしゃっていましたが、八重さんの生い立ちから、会
 津藩の事情、兄の山本覚馬氏の人となり、結婚後のこと、新島
 襄先生亡き後、安中を訪れた時のエピソードなど…充実した盛
 り沢山の内容でした。(講座では尊敬をこめて八重子さんと呼ば
 れていました)

①ジャンヌ・ダルク時代
 (会津戦争当時を再現して56歳のとき撮影)
 22歳の八重さんは断髪し、弟三郎の形見の軍服で男装し、銃を
 片手に勇ましく闘いました。
②ハンサム・ウーマン時代
 京都に移住し、英語を学び洋装で明治の新女性として、女性教
 育者として活躍しました。
③ナイチンゲール時代
 夫の死後日本赤十字社の社員となり、日清・日露戦争時は篤志
 看護婦として従軍。その後もさまざまな形で社会福祉に尽くしま
 した。(画像は新島八重と会津/パンフレットより拝借しました)

 で、以前から気になっていたことですが
 八重さんは19歳の頃に実家(山本家)に寄宿していた但馬国(兵
 庫県)出石藩(いずしはん)の医家の生まれで、蘭学と舎蜜術(理
 化学)を修めた有能な洋学者・川崎尚之助さん(日新館で教授を
 務めた)と結婚しています。
 二人が結婚して3年後に戊辰戦争が勃発し、鶴ヶ城籠城戦を前に
 離婚しました。
 多くの藩士が鶴ヶ城開城の際に離婚したそうですが、それは妻へ
 の愛情の証だったのではないかという見方があるようです。
 二人は一緒に戦いましたが、その戦いの最中、夫の尚之助さんは
 行方不明になったといわれています。
 そして、その後の消息がどこにも見当たらないことが不思議でした
 が、淡路先生の解説では、尚之助さんが江戸にいるのを知った兄
 の覚馬さんが一緒に京都へ連れ帰ろうとしたのですが、失意のど
 ん底にあった尚之助さんは帰ろうとはしなかったとか。
 その後、明治8年に38歳の若さで亡くなったそうです。
 そして、、、新島襄先生・八重さんは明治9年に結婚しました。

 【参考】 「新島八重子婦人と安中」講座資料
      「新島八重と会津」パンフレット
       (会津若松市「八重の桜」プロジェクト発行)       
      サイト/八重のふるさと福島県
       http://www.yae-mottoshiritai.jp/



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この記事へのコメント
風子さん、こんにちは。
面白そうな講座ですね。また淡路先生が講師ってのもいいです。
実際、安中の古い歴史はすべて淡路先生が紐解いたといってもいいほど。(先生の先生がいらっしゃったと以前、伺ったことがありますが…)

実は淡路先生は高校時代の恩師であり、住まいは距離にしておよそ10mしか離れていないのです。ついでに言えば、先生の長男は同級生であったりもします。^^;
先日、チャップランド(昼間チャップがいる場所)に居た時、「**くん、井戸はまだ生きている?」と突然、声を掛けられました。
「はい、まだ水深6、7mはありますね。」
「そうか、子供の頃よくその井戸の傍へ行くと「危ないから近づくな!」と怒られたものだよ」
「そうなんですか…」
「そこは中山道が開通して安中宿が出来た時、脇本陣が置かれた場所でその時に掘られた井戸なんだ。だから、普通の民家の井戸とはサイズも深さもぜんぜん違うんだ。」
「そうなんですか…」
「そこの石垣だってその時のものだから400年近くは経ってるはず。石はみんな碓氷川から運んできたものだよ…」
「はぁ~」
というような有り難いお話しをお聞きしました。

「安中の歴史を知りたければ淡路先生に訊け!」
もはや、市民の常識です。^^;
Posted by くりまんじゅう at 2012年10月07日 07:29
>くりまんじゅうさま

そうだったのですか!淡路先生とお住まいがそんなに近い
とはねぇ。

昨年、学習の森の歴史講座で淡路先生や他の先生方の講義を
受けることができ、安中には優れた研究者が何人もおられる
ことを知りました。
その後、古いものを探し歩くうちに古文書を読めるようになり
たいと思うようになり、今回淡路先生の講座を受けられること
になったので、嬉しさいっぱいです。

そうですね、わからないことは、まず淡路先生にお訊きするよ
うに致します^^。
Posted by 風子風子 at 2012年10月07日 08:48
今日の上毛新聞に、「安中市は、福島県にキャラバン隊を派遣して、誘客を進める。」と載っていましたね。
チャンスを活かすアイデア満載の、安中市が羨ましいです。

県立歴史博物館でも、11月10日(土)に「新島襄と群馬県 大河ドラマ『八重の桜』を前に」という題で、手島仁先生の講演を予定しています。

くりまんじゅうさんのコメントも、とても興味深かったです。
安中は、これから、ますます楽しみですね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎 at 2012年10月07日 09:24
>迷道院高崎さま

新聞の数字を見ますと、新島襄旧宅の来館者が
昨年8,9月が666人、今年は1788人と伸びている
そうですが、もっと上を期待したいです。
Posted by 風子風子 at 2012年10月07日 19:27
昔、(40年くらい前)「新島最中」と云うのが有りました。
現在の安中郵便局の向かい側に「万歳堂」と云うのが有って、最中を作っていました。 ドラマで取り上げられたから作ったと云うのでは無いから、今でも作っていたら味わいが有ると思うのですが、4.5年前に火災があり、多くの道具等が焼けてしまいました。当時の看板は家の中に有ります。 従兄弟の家だから・・・ 
Posted by 豊ちゃん at 2012年10月10日 18:35
>豊ちゃんさま

40年くらい前ですか、見たかったです。
地元の方に訊くと「万歳堂」は、皆さんご存知です。
そーですか、御親戚なのですか、火事は残念でしたね。
今も続いていれば、新島八重さんつながりで、活気が
出たかも知れませんね^^。
Posted by 風子風子 at 2012年10月10日 20:40
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