群馬で出会った自然や季節の花、文化遺産、つぶやきなどを写真で綴ります。
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2012年06月09日

金井忠兵衛旅日記(4) ♪


 △宮川を渡った中川原の図 『伊勢参宮名所図会』より

 『金井忠兵衛旅日記』(金井方平・編集/淡路博和・監修)は、
 板鼻宿で宿屋を営んでいた金井忠兵衛が、文政5年(1822)に
 上州安中(板鼻宿)から長崎まで旅をして綴った日記です。
 (伊勢参宮並大社拝礼紀行)
 
  江戸期における庶民の移動には厳しい制限があったようですが、
 信仰を目的とする伊勢参りに関しては、通行手形さえ発行しても
 らえば、実質的にはどの道を通ってどこへ旅をしてもあまり問題は
 なく、参詣をすませた後には京や大坂見物を楽しむ者も多かった
 とか。
  伊勢参りは爆発的なブームとなり、数百万人規模のものが、60
 年周期に3回起こったと記録されているそうです。

 『金井忠兵衛旅日記』より 
 17日夜、伊勢に入り、御師(おんし)三日市太夫と共の者2名
 の出迎えで、御師宅に泊まり、旅籠の食事とは格段に違う豪華
 な料理でもてなしを受けました。その時の献立がこちらです。
 
 くわし・雑煮・吸もの・肴・硯ぶた・阿わび・たい・九年母(ミ
 カンの一種)・ゑび・いも・こぶ・かまぼこ
 引さかつき
 大鉢 大たひ
 本膳 皿…なます 汁
     坪…二品しれず 飯
 二膳 小皿…さしミ
     猪口…すみそ 汁 九年母
     平…あわび 青な 志みとうふ
     皿…やき肴

 翌18日は雨でしたが、朝からご馳走。夜も忠兵衛ほか6名、高木
 氏宅に招かれご馳走が続きましたが、一人は大酒を飲んで来れ
 なかったと書かれ、19日も雨で、朝から酒が出ています。
 (一般的な宿の食事は「一汁二菜」だったようです)
 
  なぜ御師邸でこのような供応を受けることができたのか…
  御師はもともと神職でしたが、江戸期にはお札を売るなどして、各
 地を歩いたようです。忠兵衛さん達も突然三日市太夫のもとを訪ね
 たわけではなく、以前からの繋がりがあり、御師側も大切なお得意
 さんを歓迎する必要があったのでしょう。
  当時、御師は旅行の斡旋、宿泊と祈祷(神楽)、土産物の販売な
 ど、総合旅行業のような感じだったようです。

 御師の宿屋では盛装した御師によって豪華な食器に載った伊勢や
 松坂の山海の珍味などの豪勢な料理や歌舞でもてなし、農民が住
 んでいる所では使ったことがないような絹の布団に寝かせるなど、
 参拝者を飽きさせないもてなしを行った。また、伊勢神宮や伊勢観
 光のガイドも勤め、参拝の作法を教えたり、伊勢の名所や歓楽街を
 案内して回った。(Wikipedia)
 
 
 ☆参考サイト:ひょうご歴史ステーション
 ☆参考書籍:『江戸の旅文化』神埼宣武 著

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この記事へのコメント
伊勢参りに上州から行って来るには相当な経費が掛ったと思いますね。 やじさん・きたさんも相当なお金持ちだったのでしょうね。私は屋久島の宮之浦岳から青森の岩木山まで多くの山(300位かな?)に登ってますが、その多くはビジネスホテルか車中泊です。 それでもガソリン代を含めて1回1万円。 1度にはとても行けません!
昔の人はあの距離を歩きや馬で行った、疲れた時はタクシーを使ったようなものですから大金持ちじゃなけりゃ出来ない旅ですね。
クレジットカードは使えなかったのだから、大金を持って旅?
う~ん 解らないで~す。 御立派ですね。
Posted by 豊ちゃん at 2012年06月12日 17:27
>豊ちゃんさま

大金を持たなくても、信心の旅ということで沿道の施しを
うけることができた時期もあったようですが、「講」という
仕組みがありました。庶民にとって旅費は相当の負担なので、
何人かでお金を出し合い、くじ引きで代表者を決めて順番で
皆が行けるようになっていたようですね。
榛名神社の参道でも「○○講」という石碑を見たことがあります。
Posted by 風子風子 at 2012年06月12日 20:36
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