群馬で出会った自然や季節の花、文化遺産、つぶやきなどを写真で綴ります。
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2012年06月01日

金井忠兵衛旅日記(1) ♪

 安中市板鼻の金井方平氏方の土蔵から見つ
かったという江戸時代の旅日記は、昭和61年(1986)読売新聞に掲載され、郷土誌家の間
で反響を呼んだそうです。

 この旅日記は金井氏の5代前の金井忠兵衛
が、文政5年(1822)長崎まで旅行した際の道中記を、半切紙の横綴じ60枚、120ページにわたり綿密に綴ったものである。
   
   「文政五年閏(うるう)正月二日 伊勢参宮並大社拝礼記行」▲
 この旅日記の資料的価値は、一つには江戸時代に一般の庶民が
長崎のような遠方まで旅行し、しかも旅日記を書き残したという例は、群馬県内では過去発見例がないということ。
 二つにはこの日記が単に旅程、宿賃等に止まらず、各地の文化、生活、食べ物等に関する実に豊富な情報を提供してくれることによる。
 『金井忠兵衛旅日記』/発見された旅日記:三好範英より引用


金井忠兵衛プロフィール 
 板鼻の本陣、脇本陣に次ぐ家格であった金井家は牛馬宿(うし宿)を営み、数百坪の屋敷と本格式築造庭園を構える、代々年寄役の
家柄でした。
 文化8年の大火により板鼻は致命的な打撃を受け、復興がはかどらないとき、年寄金井忠兵衛は宿役人総代として江戸に出府し窮状を訴え、復興助成金獲得に尽力しました。また、文化11年から4年間続いた板鼻寺院間の紛争を解決しました。 参考:『板鼻昔物語』

 忠兵衛の長崎への関心がいつごろ、なぜ芽生えたのか今のところ明らかではないが、こうした江戸との交流の中で育まれていったのかもしれない。また板鼻宿は中山道の宿場町として東西の文物が比較的早くもたらされた場所であり、和算家の小野栄重も忠兵衛と時期を同じくして活躍しているから、そうした文人との交流から、蘭学などへの憧れも生まれていたのかもしれない。
 『金井忠兵衛旅日記』/発見された旅日記:三好範英より引用


 ≫続きます→金井忠兵衛旅日記(2)


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