群馬で出会った自然や季節の花、文化遺産、つぶやきなどを写真で綴ります。
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2012年05月30日

金井忠兵衛旅日記 ♪

 観光ボランティアガイドで活躍している友人から便りがあり、
 『金井忠兵衛旅日記』という本があることを知りました。
 ガイドで板鼻を廻り、鷹巣神社の麓にある金井忠兵衛のお墓
 訪ねたとか。金井家は新田氏の一族で、倉賀野十六騎の旗頭
 金井淡路守の末裔とされる旧家です。

 江戸時代後期、板鼻宿で牛馬宿を営んでいた金井忠兵衛は、
 文政5年(1822)1月2日から3ヶ月半の長い旅に出ました。
 『金井忠兵衛旅日記』は、中山道から伊勢参宮、西日本を経て、
 九州の長崎まで、31カ国を旅し、各地の旅籠で出された夕食や
 朝食の内容などを記録した、簡潔な日記のようです。
  参考サイト:もりたたろべえ

 当時の時代背景としては
 1800 年(寛政12年)伊能忠敬が蝦夷地を測量
 1808 年(文化5年) 間宮林蔵らが樺太を探検
 1825 年(文政8年 )異国船打払令  など

 ※牛馬宿…本陣、脇本陣に次ぐ資格をもつ公定の宿屋。平時
  には移動牛馬の宿泊場。
  伝馬継ぎ立て牛馬、軍用騎馬などの屯宿私設として主要宿
  駅に設置され、家格、屋敷の広さは群をぬいており、公儀の
  上役人の定宿とされていた。 
   参考:『中仙道板鼻宿』 川島一郎/著 



 “鷹巣神社の麓”という墓地の場所を確認してから出かけてみ
 ると、いつも通り過ぎている古城団地入口の信号脇でした。


 石段に沿うように石仏や庚申塔が並び…

 
 中央に金井家の墓石、墓碑銘には金井万平さんの名があり、
 後ろ側に金井忠兵衛のお墓がありました。



 
 金井忠兵衛方智 行年六十歳とあります。


 はるばる九州まで長旅をし、その記録を残してくれた人が板鼻
 にいたなんて!なんとも感慨深く、嬉しい出会いでした^^。

 ※掲載した内容に誤りがありました。金井忠兵衛の墓石の画
  像は同じ名前を継いだ方のものでしたので、正しい画像を差
  し替えました。失礼致しました。(5/31 追記)  

 ☆「金井忠兵衛旅日記」の詳細はこちらです^^。



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この記事へのコメント
忠兵衛さん、いったい何歳の時に出掛けたんでしょうね。
きっと、もう隠居になってからなんでしょうからね。

倉賀野城主だった金井淡路守の末裔なんですか。
よくお墓まで探されましたね。
面白い話を、ありがとうございました。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎 at 2012年05月30日 22:12
>迷道院高崎さま

旅に出たとき、忠兵衛さんは44歳だったようです。
『金井忠兵衛旅日記』がまだ手に入らないのですが、
読んでから、また何かご報告できるかも知れません。
Posted by 風子 at 2012年05月31日 05:23
ありがとうございます。金井忠兵衛旅日記は、食事メニューの詳細な記事など、素晴らしいと思います。
Posted by もりたたろべえ at 2013年07月02日 22:08
>もりたたろべえ さま

お越しいただき有難うございます。
時が移って忘れられてしまってはあまりに惜しいものを、
せめてネット上に遺せたらいいな…と思っております^^。
Posted by 風子風子 at 2013年07月03日 07:53
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金井忠兵衛旅日記 ♪
    コメント(4)