群馬で出会った自然や季節の花、文化遺産、つぶやきなどを写真で綴ります。
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2011年08月22日

羊太夫伝説 と羊神社 ♪



 安中市中野谷のこのあたりは平坦で
 ・・・のどかにコンニャク畑が
 広がっています。
 以前はなかったはずの石柱の正面に
 「健康 学問 経済の権現様 羊神社
 参詣道」
と彫られ、側面には
 「左側市道北進集会所角左折150米」
 とあります。(ウ~ム、わかるような わからないような・・・icon10


 狭い道を北(たぶん)に進むと「久保公会堂」という看板が
 掲げられた建物があり・・・


 公会堂の前の道を進み、左側を見ると・・・


 うっそうとした杉と竹林を背に、羊(ひつじ)神社がありました。


 こぢんまりとした・・・拝殿正面。


 境内には左から「三峯神社」の祠と「絹笠明神」、多胡碑
 同じ碑文が刻まれた石碑が並んでいます。
 絹笠明神は、この地も養蚕が盛んだったことを物語っているよ
 うです。

 中央に羊太夫宗勝の文字が読みとれ
 ます。吉井町の多胡碑に刻まれた「給
 羊」の文字から生まれた『羊太夫伝説』
 と、根強い“ひつじさま信仰”を伝えてい
 るようです。
 この地区は多胡姓が多く、戦国時代に
 羊大夫の子孫と称した武将が落ち延
 びて定住したという説もあるようです
 が・・・(?)

【羊太夫伝説】
奈良時代初期に上野国多胡郡に生まれた(羊の年、羊の日、羊の
刻に生まれたそうな)羊は成長すると2m50cmもあり、学問にも武術にも優れ、父の後を継いで郡司となりました。
羊太夫は「権田栗毛」という稲妻のように走る馬に乗り、小脛(こはぎ)という家来を連れて、奈良の都へ日参していました。
あるとき、小脛が昼寝をしていると、わきの下にトビの羽根が生えていることを知り、羊はいたずらでその羽根を抜いてしまいました。
それで都に日参することもできなくなり、朝廷からは謀反の疑いをかけられ、ついには攻め滅ぼされてしまいました。
羊太夫は家来たちが戦死したのを見届けると、最初は金色の蝶に、そしてトビに変身して飛び去ったそうです。
(参照:「羊太夫伝説鑑賞ガイド」多胡碑記念館)


2015年の羊神社はこちら

◆羊神社参詣道の道標がある場所
 



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この記事へのコメント
安中に羊太夫伝説があるとは、知りませんでした。
考えてみれば、吉井から安中までは、岩野谷丘陵でつながってるんですよね。
岩野谷丘陵には、大陸から大勢の技術者が渡来していたといいますから、不思議ではないのかも知れませんね。
Posted by 迷道院高崎迷道院高崎 at 2011年08月23日 22:23
>迷道院高崎さま

実は安中市だけではないのです。
多胡という家が多い地区には多胡碑と同じ碑文を刻んだ
石碑があると聞きました。

「多胡」は胡人(異民族)が多いという意味といわれ、
いろいろな技術を持った渡来人が多かったということ
なのでしょうか。同じモンゴロイド同士、『人間、皆
兄弟』ですね^^。
Posted by 風子 at 2011年08月24日 08:38
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羊太夫伝説 と羊神社 ♪
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