群馬で出会った自然や季節の花、文化遺産、つぶやきなどを写真で綴ります。
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2017年08月23日

続・安中は井伊家ゆかりの地 北野寺と威徳神社♪

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」で注目される井伊一族。
安中市も井伊家ゆかりの地です。

井伊直政(幼名 虎松)は、直虎が後見人をつとめて育て、後に徳川四天王の一人として活躍し、上野国箕輪城主(12万石)となりました。

井伊直政の子は二人いました。長男は正室の子であり、後に初代安中藩主となった直継(後の直勝)。次男は後に彦根2代藩主となった弁之助(後の直孝)で、異母兄の直継と同じ天正18年(1590)に駿河で生まれました。


 △北野寺の山門 山門額は「威徳山」
   

 △北野寺本堂と薬師堂

真言宗豊山派 威徳山 吉祥院 北野寺は永和元年(1375)慶秀僧正の開山と伝えられています。

正室の東梅院に配慮して、弁之助は文禄3年(1594)中後閑村の庄屋・萩原図書(ずしょ)を養育係とし、学問を北野寺の僧正 恵算が教えることになり、北野寺に預けられました。萩原図書は元は武家で、優れた人物であったようです。
 

 △薬師堂

萩原図書の屋敷から北野寺までは距離があったので、弁之助は寺内の薬師堂に住んでいたと伝えられ、北野寺には弁之助が使用していたとされる硯箱があります。

弁之助は学問の合い間に戦ごっこをしたり、百姓の飼い馬を乗り回して乗り捨て、百姓を困らせたと伝えられています。

弁之助は後に井伊直孝として彦根2代目藩主となり、北野寺には藩主からの70点以上の書状(市指定重要文化財)が遺されています。


 △扁額の「瑠璃光」とは、「薬師瑠璃光如来」のこと。

薬師堂は 安永8年(1779)焼失。その後、天保元年(1830)井伊直中(11代)により再建されたとのことです。

「雨漏り、害獣被害、経年劣化により薬師堂の屋根に穴が開いてしまったので修繕が必要で、屋根は本堂のように銅板にしたいので寄進をお願いいたします。」という内容の手書きのお知らせが貼ってありました。


△威徳神社

檜と杉の大木に囲まれた北野寺に隣接する威徳神社です。
井伊直孝が寛永3年(1626)に造営しました。



直孝が立身出世の大願をかけ、杉と檜を社殿の前の両脇に植え、御神木とされました。また、大坂の陣の際、祈願してから出陣し田柄を立てたので「出身天神」といわれています。


振り返ると、弁之助が暮らした頃と変わらないひなびた風景がありました。

 ※ 前記事「安中は井伊家ゆかりの地」はこちら

≪参考≫
・広報あんなか 「学習の森だより №135」
・学習の森ふるさと学習館第17回企画展『井伊家と安中』冊子

◆北野寺   安中市下後閑1,249

  


Posted by 風子 at 11:15Comments(2)■ 文化遺産めぐり