群馬で出会った自然や季節の花、文化遺産、つぶやきなどを写真で綴ります。
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2017年07月31日

今日の雲♪


 10:36


 11:00
 トンボが飛び交うひさしぶりの青空♪

  
タグ :トンボ


Posted by 風子 at 11:15Comments(0)パノラマ生活

2017年07月22日

安中は井伊家ゆかりの地♪

    
             (学習の森ふるさと学習館 講演会資料より)

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」で注目される井伊一族。井伊直政(幼名 虎松)は、慶長6年(1601)関ヶ原の戦いの武功により佐和山藩(滋賀県彦根市)18万石を与えられましたが、その後鉄砲傷が悪化し、慶長7年(1602)42歳で死去しました。

直政には同じ年の2人の子がいましたが、家督を継いだ政継(正室の子)は多病であり、また、家臣の争いを収めきれず、「押込め」になったという記録があるそうです。 そのため、彦根藩では直継を数えず、初代を直政、2代を直孝、直継は別家の初代とされました。

徳川家康は、慶長12年の大坂冬の陣には弟の直孝(側室の子)に出陣を命じ、大坂夏の陣で武功を挙げた直孝は彦根藩主となり近江15万石を相続しました。

直継は初代安中藩主(3万石)となり、名を直勝と改め、母の東(唐)梅院と共に145人の家臣を引き連れて安中に移り、町並みの整備や、碓氷関所(中山道)と杢(牧)関所(現渋川市・三国街道)の守護に当たりました。

安中市の大泉寺には、井伊直政正室の墓と、安中藩2代藩主井伊直好生母の墓が残されています。(安中市指定史跡)

 ※続きはこちら
 
≪参考≫
・広報あんなか 「学習の森だより №134」
・学習の森ふるさと学習館第17回企画展『井伊家と安中』冊子  


Posted by 風子 at 15:38Comments(2)■ 文化遺産めぐり

2017年07月14日

『井伊家と安中』展示中♪

平成27年度 安中市学習の森ふるさと学習館の企画展『井伊家と安中』が開催されています。

NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』。
直虎は正確な生年月日も幼名もわかっていない謎の人物だそうですが、何度も存亡の危機を迎えた井伊家を支え、虎松(直政)の後見人となり、のちには井伊谷城主となりました。

その井伊家と安中市はかかわり深く、たとえば安中城は16世紀中頃、武田信玄の侵攻に備え、碓氷川と九十九川の間の台地に築いた城で一時期は廃城となっていましたが、1615年井伊直政の嫡子である直勝(直継)が安中藩の初代藩主となりました。



安中藩主時代の井伊家の史料、北野寺にのこる彦根藩主井伊家の史料や、しろはく古地図と城の博物館富原文庫の協力で、井伊家ゆかりの城絵図・合戦図などが展示されています。静岡県浜松市の井伊谷、彦根藩主井伊家のみならず、安中にも注目してもらいたいものです。 ※7月17日まで


  


Posted by 風子 at 16:24Comments(2)プチ情報

2017年07月05日

塩原太助の玉垣と石燈籠♪

榛名神社の参道を上って行くと、売店のはす向かいに塩原太助が寄進した玉垣があります。

上毛かるたでは「ぬ:沼田城下の塩原太助」になっていますが、塩原太助は1743(寛保3)年、上野国利根郡新治村(現みなかみ町)に生まれているので、なぜ沼田?と不思議でしたが・・・・・・
群馬県発行のガイドマップに「江戸時代中ごろ沼田城下だった現在のみなかみ町の農家に生まれました。」とあり、納得しました。


                      (2014年5月撮影)
 看板には

 「塩原太助奉納玉垣
 文化5年建立(昭和60年より約180年前)

 塩原太助江戸へ出る時 当社に祈願を込め
 成功するや 御礼の為 崇敬者をさそひ
 奉納せられしもの」 とあります。

18歳の頃江戸に出た太助は、仕事も見つからず困っていたところを神田佐久間町の炭問屋・山口屋善右衛門に助けられ、住み込みで働けるようになりました。この恩に感謝して誠実に働き、本所相生町(両国)に店を出し、やがて成功し資産家となりましたが、道路改修や治水事業に私財を投じ、貧しい人や弱い人の救済を続けました。


    江戸本所 
 奉獻  鹽 原 屋 太 助  と読めます。
  
『江戸切絵図』で、塩原太助の店が載っていないだろうかと探してみましたが、手元の絵図では武家地ばかり。ようやくグーグル地図で、「塩原太助炭屋跡」の文字を見つけました。



両国の南側に流れる竪川(たてかわ)には、本所相生町に住んでいた塩原太助に因んで名付けられた「塩原橋」が架かっていいます。
太助が地元の人々に親しまれていたことがうかがわれます。


 (古い写真なので、案内看板がありません)

また、榛名町方面から榛名湖に向かうと、天神峠に立派な石燈籠があります。

天神峠の石燈籠は榛名湖を望む天神峠の頂上に建てられています。文化12年(1815)に江戸本所の豪商塩原太助が寄進したとされ、高さ7メートル以上もあり、天神峠の絶景にふさわしい雄大なものです。本来は別の場所にあったが昭和57年(1982)に現在の場所に移設されています。塩原太助は、この石燈籠のほかにも榛名神社に数個の寄進を行っています。(高崎市ホームページより)

榛名神社に参拝してから江戸へ向かlった太助にとって、夜道は暗くどんなに心細かったことか・・・、立派な常夜灯は、峠を越える人々の道標になったことでしょう。

 ◇天神峠の石燈籠


≪参考≫
 サイト:落語「塩原多助一代記」の舞台を歩く
       


Posted by 風子 at 15:44Comments(2)■ 文化遺産めぐり