2015年12月07日
碓氷関所跡と史料館♪

「乍恐(おそれながら)会」の研修で、鉄道文化むらに沿ってアプト
の道を碓氷関所跡へと向かいました。 12/2

△碓氷関所跡
碓氷関所は、元和9年(1623)江戸幕府により横川の地に移設
され、参勤交代制の確立後は東海道・箱根の関所と並び、中山道
の最重要地点として、関所手形てを提出させて「入り鉄砲と出女」
を厳しく取り締まりました。
遠足マラソンでは、華やかな仮装ランナーがこの石段を駆け上
り、門を通過して行きます。

ガイドをして下さった△中島徳造さんは、
五料茶屋本陣・お東のご当主です。
安中市議会議員をされていました。

△東門(安中藩管理)があった場所
東西の門の間は52間2尺(約94.54m)あり、下図
(碓氷御関所絵図)のような構えになっていました。

○印のあたりが西門(徳川幕府直轄)があった場所
廃関のとき、西門がどう処分されたかは不明です。

(2015/12/7撮影)
江戸時代 諸国には54カ所の関所があり、中山道には上野国
碓氷、信濃国福島、信濃国贄川の3カ所に設置されていましたが、
1869年(明治2)、明治政府により全国の関所はすべて廃止されま
した。
取り壊されそうになった東門は後閑家の尽力により形を残すこと
ができ、市内のあるお宅の蔵に7年間保存されていたそうです。
門柱上部には解体のとき燃やされそうになったのか、焼け焦げた
跡が見られます。


百姓屋敷があったことが、江戸時代初期の
絵図(交通博物館蔵)に記されています。

△○印の右が当時のままの石垣↓
碓氷御関所絵図(小野直文書による)
▽の○印のあたり


△松井田町教育委員会の案内板 △碓氷御関所絵図を見ると、
中央に石段がありました。

△史料館
碓氷関所の同心を務めた後閑周之助が遺した関所手形などの
文書類、関札(大名などが泊まったとき外に掲げられた札)、同心
の着衣、絵図面などが数多く展示されています。
【開館機関】 春季:4・5月、秋期:10・11月
【開館曜日】 毎週土・日曜日・祭日のみ
【開館時間】 午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)
※無料 ※問い合わせは「安中市学習の森」TEL 027-382-7622

゛碓氷関所の文書は完璧に遺されている″というお話を伺い、
沢山いただいた資料をひもときながら、ふと気になって安中市
の文化財リストを調べてみましたが、なぜか後閑家文書はリス
トにありません!?
現在、古文書教室で萬延二年の「勤番日記」(後閑家所蔵)
を解読していますが、度々登場する後閑周之助という名前に、
親しみを感じています。

△関所史料が保管されていた後閑家の蔵
後閑家、碓氷関所の資料研究をされている佐藤義一先生、
古文書の手ほどきをして下さる淡路博和先生、熱く解説してい
ただいた中島徳造さんに深謝いたします。
《参考書籍》
『安中市の文化財』 『松井田町の文化財』『松井田町誌』
『碓氷関所事歴』 『ふるさとの至宝(安中市の文化財)』他
◆碓氷関所跡(群馬県指定史跡)
安中市松井田町横川乙573