2013年06月30日
幕府御用材伐出しの日記(2)♪
古文書教室で
「川浦山御材木御伐出御用中日記」の解読が続いています。
幕府がこの大事業を請け負わせたのは、吾妻郡大戸村の加部
安左衛門と勢多郡水沼村の星野七郎右衛門でした。
その星野七郎右衛門関連の古文書などが展示されているという、
桐生市黒保根町の「歴史民俗資料館」へ出かけました。
黒保根地区の人々に受け継がれてきた歴史資料1万5000点、民
俗資料3000点を所蔵しているそうです。 6/18

△歴史民俗資料館入口
わたらせ渓谷鐡道水沼駅からは車で5分ほどです。

到着したときは門扉が閉まっていましたが、隣の建物の
2階の公民館でお願いすると、係の方が建物内に入れて
くれます。土日は常駐しているそうです。

△2階の歴史資料室(撮影許可をいただきました)
1階の展示室には、村で使われていた懐かしい農具などが
展示されています。

△足尾通見取絵図(国立博物館蔵)の一部
斜めの道筋は黒保根村内を通る銅(あかがね)街道
(銅街道は江戸時代後期、足尾銅山で採掘された銅を
利根川水系まで運ぶために開通した街道)

△「御用材伐出の申渡書」「御林見分の申渡書」「加部・星野の
身上書」、お触書き、木数や職人に関する金銭の出入帳など、
幕府御用材伐出しの細部にわたる文書が残されています。
巨額の費用が必要な大事業のため、幕府は事業開始前に加部
安と星野の身元財産調査を行いました。資産・家族・使用人・
人格などについて記載されています。そのとき加部安は69歳、
星野は44歳、加部安は老齢のため息子啓助が、星野は金輔が
補佐しました。
星野七郎右衛門(9代七郎右衛門朋寛:1791年~1856年)は
水沼村(後の勢多郡黒保根村、現桐生市黒保根町)の名主で
あった。天保期(1830年~1843年)には上野国(現群馬県)一国
を代表する豪農であり、51町6反(154,800坪)の土地、持高にし
て300石余を有していた。以降代々が、郡中取締役や足尾銅山吹
所世話役などの役儀と苗字帯刀の特権を受け継いだ。(Wikipedia)

△川浦山の御会所に掲げられていた日の丸の旗印
≫≫幕府御用材伐出しの日記(1)はこちら
◆黒保根歴史民俗資料館
桐生市黒保根町水沼175
0277-96-3125
・午前10時~午後4時 ・月曜休館 ・入館料100円
「川浦山御材木御伐出御用中日記」の解読が続いています。
幕府がこの大事業を請け負わせたのは、吾妻郡大戸村の加部
安左衛門と勢多郡水沼村の星野七郎右衛門でした。
その星野七郎右衛門関連の古文書などが展示されているという、
桐生市黒保根町の「歴史民俗資料館」へ出かけました。
黒保根地区の人々に受け継がれてきた歴史資料1万5000点、民
俗資料3000点を所蔵しているそうです。 6/18

△歴史民俗資料館入口
わたらせ渓谷鐡道水沼駅からは車で5分ほどです。

到着したときは門扉が閉まっていましたが、隣の建物の
2階の公民館でお願いすると、係の方が建物内に入れて
くれます。土日は常駐しているそうです。

△2階の歴史資料室(撮影許可をいただきました)
1階の展示室には、村で使われていた懐かしい農具などが
展示されています。

△足尾通見取絵図(国立博物館蔵)の一部
斜めの道筋は黒保根村内を通る銅(あかがね)街道
(銅街道は江戸時代後期、足尾銅山で採掘された銅を
利根川水系まで運ぶために開通した街道)

△「御用材伐出の申渡書」「御林見分の申渡書」「加部・星野の
身上書」、お触書き、木数や職人に関する金銭の出入帳など、
幕府御用材伐出しの細部にわたる文書が残されています。
巨額の費用が必要な大事業のため、幕府は事業開始前に加部
安と星野の身元財産調査を行いました。資産・家族・使用人・
人格などについて記載されています。そのとき加部安は69歳、
星野は44歳、加部安は老齢のため息子啓助が、星野は金輔が
補佐しました。
星野七郎右衛門(9代七郎右衛門朋寛:1791年~1856年)は
水沼村(後の勢多郡黒保根村、現桐生市黒保根町)の名主で
あった。天保期(1830年~1843年)には上野国(現群馬県)一国
を代表する豪農であり、51町6反(154,800坪)の土地、持高にし
て300石余を有していた。以降代々が、郡中取締役や足尾銅山吹
所世話役などの役儀と苗字帯刀の特権を受け継いだ。(Wikipedia)

△川浦山の御会所に掲げられていた日の丸の旗印
≫≫幕府御用材伐出しの日記(1)はこちら
◆黒保根歴史民俗資料館
桐生市黒保根町水沼175
0277-96-3125
・午前10時~午後4時 ・月曜休館 ・入館料100円