群馬で出会った自然や季節の花、文化遺産、つぶやきなどを写真で綴ります。
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2012年07月23日

古刹めぐり / 上後閑の長源寺 ♪

 後閑川上流の古刹巡り、次は長源寺へ向かいました。7/20


 カーブの多い狭い道路なので、マイクロバスが
 ターンできる場所から先は少し歩きます。


 「通天橋」という赤い橋を渡り、石段を上ります。

 
 おや、お寺なのに左右に狛犬さんicon12


 立派な山門をくぐり
 

 長源寺本堂に到着。
 

 ご本尊は釈迦如来像、右に文殊菩薩像、左に普賢菩薩像



 長源寺は嘉吉3年(1443/室町時代)に、信濃から進出した御獄
 城主依田信濃守政知により創建され、現在の後閑城跡地に7年
 の歳月を費やして築城していた間は、長源寺が砦の役目を果たし
 ていたとされます。(長源寺パンフより)
 後閑城主新田伊勢守信純が中興開基。

  ※中興:いったん衰えた物事や状態を再び盛んにすること
  ※開基:寺を開くこと 

 ご住職のお話で興味深かったのは、後閑にある三寺には共通
 して歴史的な人物が隠れ棲んでいたということでした。
 北野寺(下後閑)には上野国箕輪城主井伊直政の次男直孝が、
 満行寺には検非違使源義国が晩年隠棲し、長源寺には箕輪
 城主の弟・真田幸隆がかくまわれていたようです。
 

 △後閑信純木像             (画像:『西上州の中世』より)


 昔の住職が使ったという駕籠が吊り下げられています。
   

 少し雨が降り出して、後閑信純の墓所に訪れるのを
 忘れてしまいました。 (画像:『西上州の中世』より)
 
新田伊勢守信純は後閑氏を名乗り武田家に仕え、永禄10年
(1567)に武田信玄に提出した起請文は、長野県上田市の生島
足島神社
に残された83通の中の1通で、「生島足島神社文書」と
して(他の文書と合わせて94通)国の重要文化財に指定されて
います。 起請文:武田家臣団が信玄への忠誠を誓約した文書

 ☆外部リンク:後閑信純起請文  


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◆青木山護国院長源寺 (曹洞宗)
 安中市上後閑2913
 027-385-5966
  

    


Posted by 風子 at 17:04Comments(2)■ 文化遺産めぐり