群馬で出会った自然や季節の花、文化遺産、つぶやきなどを写真で綴ります。
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2017年09月25日

信州佐久にもあった「五稜郭」♪


 観光ガイドマップに載っていた「龍岡城五稜郭」。 函館の五稜郭には行きましたが、佐久にも五稜郭があったなんて。 9/1 
 

 △「佐久市歴史の里・であいの館」には史料等が展示されています。

函館五稜郭は箱館開港時に函館山の麓に置かれた箱館奉行所の移転先として築造された。しかし、慶応2年(1866年)の完成からわずか2年後に幕府が崩壊、短期間箱館府が使用した後、箱館戦争で旧幕府軍に占領され、その本拠となった。明治に入ると郭内の建物は1棟を除いて解体され、陸軍の練兵場として使用された。その後、1914年(大正3年)から五稜郭公園として一般開放され、以来、函館市民の憩いの場とともに函館を代表する観光地となっている。(Wikipedia)


 △龍岡城五稜郭 の堀   



龍岡城五稜郭は、慶応3年(1867年)に龍岡藩主「松平乗謨」(まつだいらのりかた)によって造られ、函館の五稜郭とともに日本に2つしかない五つの稜が星形に突き出た擬洋式城郭です。
江戸幕府はこの当時に城を新たに造ることを禁止していましたが、幕府の重要な役職についており、西洋の軍楽に関心を寄せていた松平乗謨は特別に許可をもらい、フランスのリール市の星形の堀をもつ城郭ボーバン城をモデルとしてこの龍岡城五稜郭を建築しました。
(佐久市ホームページより)



△龍岡城五稜郭案内板


堀は三稜堡をめぐるだけで、南西と西側を囲む約270mは未完成でした。
龍岡藩廃藩後の明治5年(1872年)、建物は解体、競売に付され、堀も埋められましたが、昭和の初期に復元されたそうです。


                       △御台所(元の位置から移動)

城跡に残された御台所櫓には、明治8年(1875年)に田野口村の「尚友学校」が移転し、現在は佐久市立田口小学校の校地として使われいます。お城の中に学校が建設されているという全国でも珍しい小学校だそうです。


 △大給 恒の胸像
松平乗謨は維新後に「大給 恒」(おぎゅう ゆずる)と名乗り、日本赤十字社の設立に尽力しました。

◆龍岡城五稜郭

  


Posted by 風子 at 16:54Comments(1)*おすすめスポット

2017年09月21日

今朝の雲♪




                                      7:30
  
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Posted by 風子 at 09:52Comments(0)パノラマ生活

2017年09月15日

今朝の雲♪


                                      5:45
  
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Posted by 風子 at 11:02Comments(2)パノラマ生活

2017年09月13日

蓼科高原バラクライングリッシュガーデン♪


 長野県茅野市、標高1,100mの高原にあるバラクラ
 イングリッシュガーデン。            9/1


 エントランスもヨーロッパ風、ダリアが満開でした。
 

 バラクライングリッシュガーデンは1990年に開園。
 約10,000㎡の地に、オーナーがデザインし、設計
 から石工、ガーデナーまで、庭園の全てが英国人
 専門家により創られた、日本初の本格的英国式
 庭園だそうです。(HPより)


 ショップを過ぎて庭園の方に歩きだすと・・・


 木陰には、あちこちにベンチがあります。


 できればバラの季節に来たかった。。。


 小径も素敵です。


 「不思議の国のアリス」のお庭はメルヘンの世界。


 高原の爽やかな風を感じながら、ベンチでひと休み。


 庭園は週ごとに表情を変え、5,000種類をこえる植物
 コレクションを誇っています。


 ベーカリーやブティック、カフェ、レストラン・・・


 バラクラのシンボルツリー、黄金アカシヤ「フリーシア」の
 大木が背景を彩っています。


 久しぶりにのんびりと・・・癒しの空間を愉しみました。

蓼科高原 バラクラ イングリッシュ ガーデン
   長野県茅野市北山栗平5047  
   TEL 0266-77-2019

  


Posted by 風子 at 16:44Comments(2)* 花の名所

2017年09月08日

今朝の雲♪


                             6:18
  
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Posted by 風子 at 08:52Comments(0)パノラマ生活

2017年09月06日

佐久市の「“元祖” ぴんころ地蔵尊」♪


 朱色の大きな鳥居をくぐって
 真言宗智山派の名刹 成田山薬師寺参道をゆきます。。。


 毎月第2土曜日には山門市が開催されますが、平日の屋台は
 ほとんどお休み。
 

 立派な山門入口の脇に人だかりが見えます。
 お地蔵さまのご利益を求め年間5万人もの参拝者がいるとか。
 地元商店街では長寿にちなんだグッズを販売していて、町おこし
 にも一役買っているようです。
 
 

 “元祖”ぴんころ地蔵尊 (長寿地蔵尊)
 2003年(平成15年)に建立されました。
 ちょっと首をかしげたあどけないお顔を見ていると、
 しぜんに微笑みが沸き上がってきます。


 日本でも有数の長寿に里として知られている信州佐久地方。
 ぴんぴん元気で過ごし、ころっと苦しまずになくなりたいという
 気持ちは誰もが抱いているもののようです。


 「八ヶ岳山麓の大自然にはぐくまれた清らかな地下水を
 原水とした飲料水です。参拝の皆様ぜひご賞味ください」
 という看板があり、飲んでみると、旅の疲れが癒されるよ
 うな甘さとまろやかさを感じるお水でした^^。    8/30

 ※駐車場は寺の裏手にあります。

 ※下里見町のぴんころ地蔵尊はこちら

 ◆成田山薬師寺  長野県佐久市原467   

  


Posted by 風子 at 10:33Comments(2)体験・見学

2017年08月25日

今朝の雲♪


 5:03
  
タグ :朝焼け


Posted by 風子 at 10:09Comments(0)パノラマ生活

2017年08月23日

続・安中は井伊家ゆかりの地 北野寺と威徳神社♪

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」で注目される井伊一族。
安中市も井伊家ゆかりの地です。

井伊直政(幼名 虎松)は、直虎が後見人をつとめて育て、後に徳川四天王の一人として活躍し、上野国箕輪城主(12万石)となりました。

井伊直政の子は二人いました。長男は正室の子であり、後に初代安中藩主となった直継(後の直勝)。次男は後に彦根2代藩主となった弁之助(後の直孝)で、異母兄の直継と同じ天正18年(1590)に駿河で生まれました。


 △北野寺の山門 山門額は「威徳山」
   

 △北野寺本堂と薬師堂

真言宗豊山派 威徳山 吉祥院 北野寺は永和元年(1375)慶秀僧正の開山と伝えられています。

正室の東梅院に配慮して、弁之助は文禄3年(1594)中後閑村の庄屋・萩原図書(ずしょ)を養育係とし、学問を北野寺の僧正 恵算が教えることになり、北野寺に預けられました。萩原図書は元は武家で、優れた人物であったようです。
 

 △薬師堂

萩原図書の屋敷から北野寺までは距離があったので、弁之助は寺内の薬師堂に住んでいたと伝えられ、北野寺には弁之助が使用していたとされる硯箱があります。

弁之助は学問の合い間に戦ごっこをしたり、百姓の飼い馬を乗り回して乗り捨て、百姓を困らせたと伝えられています。

弁之助は後に井伊直孝として彦根2代目藩主となり、北野寺には藩主からの70点以上の書状(市指定重要文化財)が遺されています。


 △扁額の「瑠璃光」とは、「薬師瑠璃光如来」のこと。

薬師堂は 安永8年(1779)焼失。その後、天保元年(1830)井伊直中(11代)により再建されたとのことです。

「雨漏り、害獣被害、経年劣化により薬師堂の屋根に穴が開いてしまったので修繕が必要で、屋根は本堂のように銅板にしたいので寄進をお願いいたします。」という内容の手書きのお知らせが貼ってありました。


△威徳神社

檜と杉の大木に囲まれた北野寺に隣接する威徳神社です。
井伊直孝が寛永3年(1626)に造営しました。



直孝が立身出世の大願をかけ、杉と檜を社殿の前の両脇に植え、御神木とされました。また、大坂の陣の際、祈願してから出陣し田柄を立てたので「出身天神」といわれています。


振り返ると、弁之助が暮らした頃と変わらないひなびた風景がありました。

 ※ 前記事「安中は井伊家ゆかりの地」はこちら

≪参考≫
・広報あんなか 「学習の森だより №135」
・学習の森ふるさと学習館第17回企画展『井伊家と安中』冊子

◆北野寺   安中市下後閑1,249

  


Posted by 風子 at 11:15Comments(2)■ 文化遺産めぐり

2017年08月07日

草津温泉の小さな公園♪


 「大滝の湯」の入り口向かい側の坂道を上ると


 木立に囲まれた小さな公園に出ます。
 コンウォール・リー女史の寄付により造られた頌徳公園です。
 

 どこかで見たことのある胸像は
 ハンセン病患者の治療にあたったコンウォール・リー女史。
 コンウォール・リー(Wikipedia)


 草津温泉バスターミナルの入り口に掲げられているパネル。
 写真の方がやさしい感じです。


 コンウォール・リー女史顕彰碑の解説文。
 1857年 英国カンタベリーの貴族の一人娘として生まれました。


 少し歩くと・・・


 頌徳公園正面入口に出ます。        photo 2016/9/31

気軽に出かけられる草津温泉。
温泉街の散策も魅力のひとつですが、ふらりと立ち寄った公園で、もうひとつの草津温泉に出合いました。

  草津温泉とハンセン病
草津温泉は古来より湯治湯として知られていましたが、ハンセン病患者が多く集まってきたのは明治時代に入ってからと言われています。ハンセン病患者が多く草津に集まったため、ハンセン病患者の地域がもうけられました。この湯之澤部落は、当時の草津町の行政区の一つとして認められていました。また従来の湯畑を中心とする地域が上町、湯之澤部落は下町と呼ばれていました。境はありましたが往来は比較的自由だったようです。しかし「癩(らい)予防法」の制定や「無らい県運動」の高まりもあり、昭和17年に湯之澤部落は解散し、地域住民の多くは栗生楽泉園内の自由地区(下地区)に移転することとなりました。下地区では有資産患者向けの建て売り住宅や自己資金での住宅建設がなされ、湯之澤から小学校や教会も移築されました。

草津でハンセン病患者に対する救済活動においてもっとも有名なのがコンウォール・リー女史による聖バルナバ・ミッションです。大正5年よりリー女史は、湯之澤部落での活動を開始し、私財や寄付金により生活困窮者の救済にあたりました。聖バルナバ・ミッションは昭和16年まで継続されました。
(国立療養所栗生楽泉園ホームページより)

 ◆頌徳公園

  


Posted by 風子 at 15:55Comments(2)*おすすめスポット

2017年07月31日

今日の雲♪


 10:36


 11:00
 トンボが飛び交うひさしぶりの青空♪

  
タグ :トンボ


Posted by 風子 at 11:15Comments(0)パノラマ生活

2017年07月22日

安中は井伊家ゆかりの地♪

    
             (学習の森ふるさと学習館 講演会資料より)

NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」で注目される井伊一族。井伊直政(幼名 虎松)は、慶長6年(1601)関ヶ原の戦いの武功により佐和山藩(滋賀県彦根市)18万石を与えられましたが、その後鉄砲傷が悪化し、慶長7年(1602)42歳で死去しました。

直政には同じ年の2人の子がいましたが、家督を継いだ政継(正室の子)は多病であり、また、家臣の争いを収めきれず、「押込め」になったという記録があるそうです。 そのため、彦根藩では直継を数えず、初代を直政、2代を直孝、直継は別家の初代とされました。

徳川家康は、慶長12年の大坂冬の陣には弟の直孝(側室の子)に出陣を命じ、大坂夏の陣で武功を挙げた直孝は彦根藩主となり近江15万石を相続しました。

直継は初代安中藩主(3万石)となり、名を直勝と改め、母の東(唐)梅院と共に145人の家臣を引き連れて安中に移り、町並みの整備や、碓氷関所(中山道)と杢(牧)関所(現渋川市・三国街道)の守護に当たりました。

安中市の大泉寺には、井伊直政正室の墓と、安中藩2代藩主井伊直好生母の墓が残されています。(安中市指定史跡)

 ※続きはこちら
 
≪参考≫
・広報あんなか 「学習の森だより №134」
・学習の森ふるさと学習館第17回企画展『井伊家と安中』冊子  


Posted by 風子 at 15:38Comments(2)■ 文化遺産めぐり

2017年07月14日

『井伊家と安中』展示中♪

平成27年度 安中市学習の森ふるさと学習館の企画展『井伊家と安中』が開催されています。

NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』。
直虎は正確な生年月日も幼名もわかっていない謎の人物だそうですが、何度も存亡の危機を迎えた井伊家を支え、虎松(直政)の後見人となり、のちには井伊谷城主となりました。

その井伊家と安中市はかかわり深く、たとえば安中城は16世紀中頃、武田信玄の侵攻に備え、碓氷川と九十九川の間の台地に築いた城で一時期は廃城となっていましたが、1615年井伊直政の嫡子である直勝(直継)が安中藩の初代藩主となりました。



安中藩主時代の井伊家の史料、北野寺にのこる彦根藩主井伊家の史料や、しろはく古地図と城の博物館富原文庫の協力で、井伊家ゆかりの城絵図・合戦図などが展示されています。静岡県浜松市の井伊谷、彦根藩主井伊家のみならず、安中にも注目してもらいたいものです。 ※7月17日まで


  


Posted by 風子 at 16:24Comments(2)プチ情報

2017年07月05日

塩原太助の玉垣と石燈籠♪

榛名神社の参道を上って行くと、売店のはす向かいに塩原太助が寄進した玉垣があります。

上毛かるたでは「ぬ:沼田城下の塩原太助」になっていますが、塩原太助は1743(寛保3)年、上野国利根郡新治村(現みなかみ町)に生まれているので、なぜ沼田?と不思議でしたが・・・・・・
群馬県発行のガイドマップに「江戸時代中ごろ沼田城下だった現在のみなかみ町の農家に生まれました。」とあり、納得しました。


                      (2014年5月撮影)
 看板には

 「塩原太助奉納玉垣
 文化5年建立(昭和60年より約180年前)

 塩原太助江戸へ出る時 当社に祈願を込め
 成功するや 御礼の為 崇敬者をさそひ
 奉納せられしもの」 とあります。

18歳の頃江戸に出た太助は、仕事も見つからず困っていたところを神田佐久間町の炭問屋・山口屋善右衛門に助けられ、住み込みで働けるようになりました。この恩に感謝して誠実に働き、本所相生町(両国)に店を出し、やがて成功し資産家となりましたが、道路改修や治水事業に私財を投じ、貧しい人や弱い人の救済を続けました。


    江戸本所 
 奉獻  鹽 原 屋 太 助  と読めます。
  
『江戸切絵図』で、塩原太助の店が載っていないだろうかと探してみましたが、手元の絵図では武家地ばかり。ようやくグーグル地図で、「塩原太助炭屋跡」の文字を見つけました。



両国の南側に流れる竪川(たてかわ)には、本所相生町に住んでいた塩原太助に因んで名付けられた「塩原橋」が架かっていいます。
太助が地元の人々に親しまれていたことがうかがわれます。


 (古い写真なので、案内看板がありません)

また、榛名町方面から榛名湖に向かうと、天神峠に立派な石燈籠があります。

天神峠の石燈籠は榛名湖を望む天神峠の頂上に建てられています。文化12年(1815)に江戸本所の豪商塩原太助が寄進したとされ、高さ7メートル以上もあり、天神峠の絶景にふさわしい雄大なものです。本来は別の場所にあったが昭和57年(1982)に現在の場所に移設されています。塩原太助は、この石燈籠のほかにも榛名神社に数個の寄進を行っています。(高崎市ホームページより)

榛名神社に参拝してから江戸へ向かlった太助にとって、夜道は暗くどんなに心細かったことか・・・、立派な常夜灯は、峠を越える人々の道標になったことでしょう。

 ◇天神峠の石燈籠


≪参考≫
 サイト:落語「塩原多助一代記」の舞台を歩く
       


Posted by 風子 at 15:44Comments(2)■ 文化遺産めぐり

2017年06月26日

今日の雲




 9:53

  
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Posted by 風子 at 18:54Comments(0)パノラマ生活

2017年06月22日

甘楽町の「こんにゃくパーク」♪


 群馬県はこんにゃく芋の収穫量が日本一。 
 4年前に開園したという「こんにゃくパーク」は、桜と
 武者行列で知られる城下町小幡にあります。


 広場はトロピカルというか、アジアンテイストというか・・・


 奥に見えるのは地元の朝採り野菜が並ぶ「旅の産直パーク」


 足湯が5つもあります。


 スーパーでは手に入らないこんにゃく製品がいろいろ
 買えて、「お土産コーナー」の名産品も充実しています。


 工場見学とこんにゃくの歴史や製造方法などが愉しく学べ、まさに
 こんにゃくのテーマパーク。次回は「こんにゃく無料バイキング」で
 試食三昧しようかな^^。

 ◇こんにゃくパーク  
   甘楽郡甘楽町小幡204-1  <見学>9:00~18:00
 
  


Posted by 風子 at 15:04Comments(2)体験・見学

2017年06月15日

碓氷馬車鉄道顕彰碑と「関所食堂」♪


 碓氷関所跡から碓氷峠方面に100mほど直進すると、
道路左に、「旧中山道 鉄道馬車路線」という目立たない
表示板があり、絵看板と顕彰碑があります。
  ▽



 △碓氷馬車鉄道由来

 太平洋と日本海を結ぶプロジェクト実現のために
 横川~軽井沢間は550mの高低差がある難路線で、
 多くの困難に遇いながら馬車鉄道を実現したことは
 日本鉄道史に残るものだと解説されています。
 

 △碓氷馬車鉄道顕彰碑 うすいの歴史を残す会


 △碓氷馬車鉄道のあゆみ

碓氷馬車鉄道(うすいばしゃてつどう)とは、かつて官営鉄道横川線(現、信越本線)の横川駅前から、碓氷峠を越えた直江津線(現、しなの鉄道線)の軽井沢駅との間を連絡していた馬車鉄道である。
横川駅 - 軽井沢駅間には碓氷峠という古くからの難所があり、この区間は直線距離にすると10kmにも関わらず標高差が552mもあるなど、鉄道にとっては非常に急勾配となるもので、工事も長期にわたっての難航が予想された。
そのため、暫定的に両駅間を馬車鉄道によって結び、東京 - 直江津間の連絡と碓氷峠の鉄道敷設に要する資材輸送手段を確保しようと考えられた。これにより、国道18号上に線路を敷設することで開業したのが「碓氷馬車鉄道」である。
旅客、貨物が好調で車両も増備したが、急勾配、急曲線のため線路や車輪の摩耗も激しく、馬匹も2頭引きの上、片道2回交代するなど経費がかかっていた。 
2年後の1890年(明治23年)には鉄道庁が碓氷線の建設を決定。
元々暫定的な鉄道であったため、1893年(明治26年)にアプト式ラックレールを採用して同区間の官営鉄道線が開通すると、開通僅か5年で廃線となった。廃止後一切の資材を群馬鉄道馬車に売却した。(Wikipedia) 

ということで、碓氷馬車鉄道の歴史を学んだ後で。。。
おや、気になる看板が見えますが、ここは以前から
友人に推薦されていた関所食堂です。


 満席で外に行列ができていることがあります。


 懐かしい昭和の香りが感じられる、知る人ぞ知る名店だそうで・・・
 

 カウンター3席 テーブル2卓 小上がり2卓。


 麺類もおいしいけど、一度で友人推薦チャーハンの
 ファンになってしまいました。
 (写真撮影許可を頂いたのは2016年2月19日)

 
  △関所食堂駐車場と営業時間 
   群馬県安中市松井田町横川553-3

お客さんは高齢者が多い感じですが、碓氷峠を越えて
きたらしいレザースーツのライダーが大型バイクの
エンジン音を響かせて走り去るのを眺めることもできます^^。
  


2017年06月07日

今年のアマリリス♪


 このところ毎年冬場は体調がよくないのですが、
 ブログ更新もできないままに、いつの間にか梅雨に
 なっていました。
 最初に買った2鉢から株分けした球根が育ち、今年は
 6個も可憐な花が咲きました。   5.10撮影


 
 わが家のアマリリスが咲くころになると、ようやく人心地が
 つくような感じです。

  
タグ :アマリリス


Posted by 風子 at 17:18Comments(4)日記

2017年04月30日

花と緑のぐんまづくり2017 in安中♪


 ▲碓氷峠の森公園   4/24撮影

花と緑のぐんまづくり2017in富岡・安中
~ふるさとキラキラフェスティバル~が
5/21(日)まで開催されています♪


 安中市のメイン会場・碓氷峠の森公園では主に土・日、各種イベントがあります。


 会場はいろいろなお花で彩られ・・・
 

 こんなワンコもいました^^。


 多肉植物の展示。
 フードテラスでは市内の各種名産品が食べられるみたいです。
 

 お絵かき花壇や花のピラミッドは花がいっぱいicon12


 水辺の散策もたのしめます。。。


 峠の一の入り口の回廊も素敵でした。

☆イベントの詳しい情報はこちら(PDF)
  


Posted by 風子 at 20:12Comments(0)*祭・イベント

2017年04月12日

城山稲荷の桜♪








待ってましたと言わんばかり。
全開の桜に、ぴんころ地蔵尊もにこやかでした^^。4/10
  


Posted by 風子 at 17:21Comments(2)* 季節の花

2017年04月03日

昨日の雲♪


△拡大します
最近、浅間山の噴煙はよく見ますが、右斜め上に向かうラインが気になりました。 18:02
  


Posted by 風子 at 14:52Comments(2)パノラマ生活